象徴交換と死
ジャン・ボードリヤール
前半サマリー
シミュラークルのありようは時代を経て形を変えてきた。現代は「シミュレーション」の世界である
価値が現実の対象ではなく、構造に宿っていること
自然価値法則に基づく「模造」の領域
商品の価値法則に基づく「生産」の領域
構造の価値法則に基づく「シミュレーション」の領域
「生産」をベースとした労働者の価値法則は無意味となった
例えば、マルクスが主張してきた労働価値説は古い言説である
死の欲動をもって構造に立ち向かうことはできる
現実と現実を複製するシミュレーションが曖昧になってきている
二進性が支配するルールで決定される世の中で、権力の象徴はわかりやすい二項対立
例えば、世論調査が現実の意思決定を書き換えることがすでに起こっている
が、その図式を、未開社会に押し付けるのは不適切。西洋社会の倫理であることを自覚する必要がある
P.160
今日では、精神分析の転移と反転移で際も、刺激され、シミュレーションを施されたこの答え(自己実現的予言の一種にすぎない答え)のワナにハマってしまっている。ここで、我々は奇妙な逆説にたどり着く。世論調査や精神分析の対象となる人々や原住民たちの言葉は取りかえしのつかないやり方で短絡され、失われてしまうのだが、この権利の喪失を土台にしてこそ、人類学や精神分析学や社会学らの学問は、成り行きまかせで、たまたま発達を遂げているにすぎない。
P.190
グラフィティ中の名前、若者たちの部族を示すこれらの呼び名は、真の象徴的役割をもっている。つまり、それらは、お互いに与えられr、交換され、伝えられ、無限に交代し合うことを目的として、作者の名を明らかにせずに作られる(後略)
広告とは、冷ややかな活気、呼びかけと熱っぽさのシミュラークルにすぎず、誰にも真の合図を送ってはいないので、自立した個人や集団の読み取り行為によって、再び取り上げられることはできない。
P.191
広告は、都市の、器官なき身体(とドゥルーズならいうだろうが)であり、そこでは、方向を定められたさまざまな流れが交叉し合う