学ぶべきことが多すぎて焦る
見上げると高い山があって、そこまでどう登ったらよいのか見当がつかない、そもそも頂上にたどり着けるのかどうかも分からないという気持ちである。自分も学部生の頃、同じような気が急く感覚に悩まされていたなと思い出すとともに、そういう情熱を持つ学生が今もいることを嬉しく思った。
(中略)もっと似ているのは、そういう作品の古参ファンが原作を通して読んだくらいでは分からない蘊蓄*2を知り尽くしていることに対して感じる、嫉妬の混ざった絶望感だろう。 (中略)憧れの人が A, B, C, D という経験や知識を持っているからとその真似をしても、同じ知識を身に着けて同じ経験をすることはできない。同じ教科書を使って勉強したとしても、自分が習得した A は A' という部分集合に化けていて、A ほど深い理解ではないかもしれない。2000 年代に Cambridge で留学したという経験 B を追って 2020 年代に Cambridge へ留学して経験 β を積んでも、両者には共通する点もあろうが、異なる点も多くあろう。英国の町は見かけこそあまり変わらないが、大学の制度や人は入れ替わる。大して興味もないが義理で出席したセミナーで聞いた話が記憶に積み重なって何かのひらめきに繋がることもある。そういう体験を逐一再現することは不可能だ。 このため、憧れの人になることは決してできない。どう頑張っても、どう焦っても。
しかし、この不可能性は必ずしも絶望を意味しない。憧れの人が A, B, C, D という経験や知識によって世界を見て、気づきを得て、問題を解くように、自分は A', β, E, F というそれとは異なった経験や背景に基づいて世界を見るようになっているはずである。そして、ふと、憧れの人とは異なる頂きに立っていることに気づくのである