堕落論
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p.70
僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってはならぬ。日は、特に美を意識してなされたところからは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書き尽くされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。
p.124
生きている奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這い回っている罰当たりには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それがまた万人のものとなる。芸術とはそういうものだ。歴史の必然だの人間の必然などが教えてくれるものではなく、偶然んあるものに自分をあっけて手探りにうろつき回る罰当たりだけが、’その賭によってみることのできた自分だけの世界だ。惣蔵発見とはそういうもので、思想によって動揺しない見えすぎる目などに映る陳腐なものではないのである。