GTDもタスクシュートもタスク管理
rashita.iconは長い間、タスクシュートは「タスク管理」ではないと感じていた。
一方、GTDは「タスク管理」だと感じていた。
タスクシュートが操作する対象にはタスクも含まれているが、タスクシュートが管理する主眼は「タスク」以外の部分にあると感じていた。
よって、タスクシュートは「タスク管理」の直轄にはないという感覚がずっとあった。
しかしながら、この二つがある関心のもとに置けることは間違いない。
広い意味での、セルフマネジメント的関心
ここで、GTDはタスク管理であり、タスクシュートは○○管理である、と別軸に分類することは可能であろう。しかし、そのような細分化に誰にとってのどんなメリットがあると言えるか。
そのような精緻な分類は、実践者にとってほとんど意味がないのではないか。
それよりも、広く「タスク管理」として括っておいた方が、興味を持つ人に伝わりやすいのではないか。
既存の学問と違い、タスク管理には学会を有する分野・部門というものがない。
今後できるのかもしれないが、いまのところはない
「マネジメント」ならばそれに類するものはありそうだが、とりあえず今はタスク管理にだけ注目する。
よって、既存の「定義」に沿って物事を解釈しなければならない強制力はどこにもない。むしろ、これからそれを立ち上げていけばいい。その際に、精緻な言葉遣いは実践的普及には貢献しないとするならば、もっと大ざっぱで(広範囲をフォローする)あっても良い、と考えられる。
「僕らの」という言い方をするのは、それ以外のタスク管理を廃絶しない意図がある。
逆に言えば、私の中でGTDとタスクシュートは異なる技法だが、それらを内包できる一つの集合の定義を自分で考え出せばよいのである。
一つ上の階層に上る、という考え方。
その定義が、「僕らのタスク管理」と呼べるだろうし、何なら別の呼称を与えても構わない。
タスク管理は、一定の層では一般的に使われている言葉だが、それはそれとして、僕らのタスク管理の定義を、吟味し、検討し、新しく創造することは、誰の批難も受けない行為であろう。
でもって、私たち(つまり、こうした分野に興味を持つ人たち)が、GTDとタスクシュートを同じジャンルの情報として好んでいるわけだから、そうした好み方から分類・定義は立ち上げるのは実践的定義というものだろう。
玄武.iconは、GTDもタスクシュートもタスク管理だと思っていましたが、それはセルフマネジメントとして捉えていたものだったのかもしれません。
ひいては、私がタスク管理に向ける関心もセルフマネジメントに向けた関心だったのかもと思うようになりました。
セルフマネジメントに向けた関心=「自己管理の実行者と対象が自分」が持つ矛盾への取り組み