タスク管理で(直接的には)問題は解決しない
生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
タスク管理によって、タスク管理なんてしなくていいんだ!
は訪れるのだろうか。
個々の問題意識により「タスク管理(的なもの)」に手をつけているとする。
仕事が多すぎて終わらない。帰れない。多くを早く終わらせたい。
もっと成果(質・量ともに)をあげて評価されたい。深く没頭する時間を確保したい。
タスクを管理したとする。
うまくいった。あるいは、うまくいっている。
が、
問題そのものを解決したのではなく、「タスク管理しているから思い通りにことが進んだ」のであって「タスク管理しないと思い通りにならず、もとの問題が復活する」。
タスク管理そのものでは、世知辛い世の中を波乗りしているだけで、問題解決にいたらない。
永続的な解決・変革をしないと、
こうあって欲しい、SHOULDと、
今こんなになってる、ACTUALの差(問題)を埋めようとしている(埋めている)限り、
問題が無くならない。
そもそもなにが問題なのか、どうありたいのか、今どうなっているのか、の認識も極めて曖昧である可能性がある(明文化してもしきれない)。
解決の道はあるか
タスク管理的なことをして、日々小さな達成感、小さな幸せを拾って、人生をコントロールできている、といえる生活を続ける これがタスク管理を続けること
いわゆる義務、責任、目的を放棄する。
世捨て人となる。なにも期待されない・しない。
手段としてのタスク管理を捨てる。
できないことは自分にはできない
できたことが自分にできたこと
という割り切り
できる人がやればいいじゃない、助け合いでしょ?
努力は逆転する。努力を避ける。
エミール・クーエ
努力に込めた力に対し、その二乗の力を以って失敗に到る
幸せになる(身も蓋もない)
「幸福に生きよ!、ということより以上は語りえないと思われる。」ヴィトゲンシュタイン
masa955jp.icon散らかすだけ散らかしてこれ(ごめんなさい)
これこそ私の生きる目的だ、命の使い道だ、といわしめるコトを見い出し、命を懸ける
ex.ゲームさえしていれば幸せ
これさえしていれば後先が気にならない、ということをする しつづける
これが幸せか。
しつづけられるだろうか?
さあ、あなたは何をしている時、幸せを感じるだろうか?続けられるだろうか?
過去と未来は「妄想」として捨て去る
悩みごとは全て過去か未来に依る
=今ここには起こっていない
今、ここで、本気で生きる
スローモーション
手足が動いている、触れている、目でみている、そういうレベルで味わう
仕上がりが愛しくなる
→ご機嫌な仕事
玄武.icon多忙の中にあるため、自己防衛的に局所的なタスク管理としてマインドフルネスのような意識は持つようにしています。
入浴、食事、睡眠時や身体感覚など。
玄武.icon問題に直接働きかけられるタスク管理もあれば、そうでないタスク管理もありそうです。
玄武.iconの場合も目下のところ人手不足によりオーバーワーク気味な状態です。
人員補充は上層部との面談の結果、保留中
問題に直接働きかけるタスク管理
当面は個人のタスク管理で凌ぐより他がない(とはいえ、ギブアップ寸前)
問題に間接的に働きかけるタスク管理
masa955jp.icon人員不足は困りますね。
人を増やしてでもやり切らねばならないか
間に合わせるためのことはするが質を捨てるか
割とこっちの選択が多いです
リソースは増えない
効率化(うまいやりかた)はほぼ頭打ちで省力化の道を選びがち
ただしきっちり守るところは守る
これがわずかに残った道徳
WANTとMUSTをきっちりわける
玄武.icon確かに、時間に合わせてタスクを変化させる省力化がほとんどですね。
また、タスク管理を無意識と思えるレベルの意識で行えるようになれば、タスク管理をするか、しないかということからも外れてくるように思えます。 masa955jp.iconその境地に至れば(あるいは子供に戻るかのようにできれば)タスク管理を卒業、と言えるかもしれませんね.
takahrt.icon すぐに感想は述べにくいですが、これは面白いドキュメントだと思いました。
以前からたとえば「GTDは気になることを管理するメソッドで、それ以外のことを載せると一見管理できてるようで、実際は解決にはならない」みたいに感じていました。