「すべてはタスク管理である」がゆえにタスク管理では手に負えなくなる
二度、タスク管理を否定する必要があるのかもしれない(弁証法でいうところの否定の否定)
一度目の否定はタスク管理は無用、やるだけ害になるという否定
タスクを管理しなければタスクができないということに苦しむこともないという考え
でも、タスクがなくなるわけではない。
二度目の否定が、タスク管理をやりすぎずにノートテイキングの延長線上で行ったりする方向性
文芸的タスク管理
タスクをタスクとして扱うのとそうでないのとを恣意的により分ける?
「人の手によるタスク管理では」手に負えなくなったり、扱いきれないことになるという条件かもしれない
AIとかならどうか。