ゲーム遍歴
記憶に残っているゲームをつらつら、だらだらと際限なく書く。
実際には書いたもの以外のゲームも持っていたしやっていた。
なるべく時系列になるようにしているが記憶が曖昧なのでその辺は適当。
last update 2023/1/3
初めてのゲーム機
テレビゲームが普及、定着し始めたころに生まれたので、テレビゲームというのは幼少期のころから当然のように遊んでいた。いわゆるデジタルネイティブ世代。今ではデジタルネイティブなんて特別でもないので、わざわざこんな言葉は使われない。
友達の家でファミコンを初めてさわり誕生日プレゼントとしてねだったのか親父も欲しかったのかわからないが、初めて家にきたゲーム機はスーパーファミコンだった。
当時は友達の家で遊んだファミコンとは別のスーパーファミコンが来てちょっと残念だったのを覚えている。
今思えば当時最新ハードであり、ファミコンよりも高価なスーパーファミコンを買ってもらえたのは幸運であった。
初孫故か祖母にはかなり色々なスーパファミコンソフトを買ってもらえたので、周囲の子供と比較してかなり多くのスーパファミコンソフトを持っていた。
スーパーマリオワールド
スーパーファミコンを買ったのだから最初に遊んだのは当然スーパーマリオワールド。
当時はバニラドームあたりが超えられなくて、親父に攻略してもらったような気がする。
バニラドーム程度で躓いていたので当然クッパは倒せなかった。羽マントでの飛行もうまくできなくて、ちょっとふわりと飛べただけで楽しかった記憶がある。当時のTV番組スーパーマリオクラブ?で羽マントでコインを制限時間内にたくさんとるというコーナーがあり、その映像では長時間飛べるマリオを見てなぜそこまで飛べるのか不思議でよく真似して練習していた。
ファイナルファンタジー4 イージータイプ
自分の初FFはFF4だった。文字を読むのが少し怪しい子供が遊ぶには厳しいゲームなのでたぶん親父が買っていたのだろう。初めは親父がやっているのを見ているだけだったとは思う。
戦闘だとジャンプで無敵になりつつ高威力を出せる竜騎士カインがお気に入りだった。そもそも竜騎士という名前がかっこよすぎるので仕方がない。今見ると定期的に裏切る、メンタルも弱いでストーリ上はそれほどかっこよくはない。ただそれでもそれっぽいルックスと肩書でフッとかなんとか喋っていれば子供には十分かっこいい。
FF4イージータイプは魔法がケアル1,ケアル2,ケアル3と魔法の強さが数字で表現されていた。他にもサハギン -> はんぎょじん、ラグナロク -> かみがみのつるぎ等の名称変更がモンスター名、アイテム名に多くなされていた。この変更でゲームに不慣れな人が親しみやすくなるのかは甚だ疑問である。しかし初FFだった自分はこれが公式名だと思っていたので、後のFF5でファイア1,2,3の表記からファイア、ファイラ、ファイガという名称になってたいたり、横文字のモンスター名、アイテムが多数でたことに最新のFFは違うなと勝手に感心していた。
ちなみにソフトとセットで付いてきた攻略本のラスボス情報は袋とじになっていたのだが、袋とじを開けるのが下手糞過ぎて見るも無残なことになった。はさみの使い方が上手ではない子供に袋とじを開けさせてはいけない。
なおこの攻略本という存在がソフトについていたからか、親の中でゲームとゲームの攻略本はセットという概念が生まれておりゲームを買うときは攻略本も買うのも当たり前の状態がしばらく続いた。幼い自分がゲームを全クリするのはほぼ不可能だったので、当時の自分はゲームの攻略本を読むことでゲームをクリアした気によくなっていた。
超魔界村
難しいゲームの代表例の一つ超魔界村。幼い自分にとっては鬼のような難易度だった。というか今でもまともにクリアするには根気が必要である。当時の自分にとってはゲームの難易度もそうだが、あのおどろおどろしい雰囲気が苦手すぎて親父がやっているのを見てたまにやるくらいだったように思う。親父が一週目をクリアして姫に最初のステージに理不尽に戻されるのを見てこのゲームは絶対にクリアできないなと思った。あの姫を許していけない。セーブ機能なんてないしやり直すのもしんどいので、外食に行く前に親父がゲームをポーズしてそのまま放置して外に出たのを電気代の無駄と母に怒られていたのをなぜか覚えている。
三国志3
スーパーファミコンソフトの中でもトップクラスに高く、一万円を超えるあのコーエーの三国志。親父が買っていたゲームで幼い自分にはシステムが意味不明すぎた。超魔界村と違い見ていてもまったく何がなんやらわからなかったが親父のプレイをよく見てはいた。親父は困ったらよく一騎打ちをしたり、火矢を使っていたのだけは覚えている。今でも火矢を打った時のSEが耳に残っている。親父はよく魏の曹操を使っていたので三国志で魏は強い、劉備は卑怯という謎の知識だけがインプットされた。この三国志への無知っぷりは後の三国無双2でさらに誤解へと強化され今も続く。
遙かなるオーガスタ
ゴルフゲー。間違いなく親父が買ったもの。幼少期のゲームの記憶はゲームそのものよりも親父とゲームをしていたという思い出が強いのかもしれない。スポーツゲームである本作は当然対戦モードがあり、親父と勝負?ができるのが楽しかった思い出。
わざとOBをだして隣のコースにボールがいったのを楽しむという理解不能な遊びをしていた。
自分の中ではゴルフゲーのシステムのスタンダードといえばこのゲームのシステムで、後にでてくるマリオゴルフ、みんゴルのシステムは肌に会わない。といっても大体一緒だけど。
星のカービィ
「なんでも、吸い込むー♪」のCMでおなじみの星のカービィ第一作。
もはや「なんでも、吸いこむー♪」でおなじみではないのだが、当時はおなじみだった。
今のカービィといえばコピー能力がメインだが、当時は物を吸って吐き出すだけの謎の生命体。
春風とともに無表情に食材、生物を立ちどころに飲み込む生物がやってきたら恐怖しかないだろう。
おそらくゲームボーイと一緒に買ってもらったソフトであり、当時かなりやりこんだゲーム。
最終的にはエクストラモードで今でいうオワタ式仕様で遊んでいた。
ゲームにろくすっぽも興味のない母親が唯一すこしやっていたゲームで、母親とゲームの話ができて楽しかった覚えがある。
スーパーバトルドッジボール
ドッジ弾平が当時流行っていたからなのか何故かもっていたソフト。ちなみにドッジ弾平は存在は知っているものの、まったくその内容は知らない。
当時の自分はウルトラマンもガンダムも仮面ライダーもまったく知らないので(今もガンダム以外はまったく知らない)、すべてのキャラクターを知らない状態で遊んでいた。そういった意味でなぜ買ってもらったのかは本当によくわからない。といっても友達と純粋に対戦するだけのゲームだったのでそれで何の問題もなかった。このスーパーバトルドッジボールはパスワードで自分の育てたチーム同士での対戦が可能なのだが、すべてを「バ」で埋めるという隠しパスワードが存在していた。この事実を知った友達と自分はこのすべて「バ」以外にも使えるパスワードを探すという人力ブルートフォースアタックとも言える狂気の遊びをしてた。実際のところパスワード探しと称してへんな文章をつくる遊びだったのだとは思う。子供のやることはよくわからない。
スーパーマリオランド2 6つの金貨
さすがにカービィにも飽きて祖母におねだりして買ってもらったゲーム。おそらくCMで見たから買ったのではないだろうか。
ゲーム自体は今見ても非常によくできた2Dプラットフォーマーであり、流石の任天堂と言える。
ただし当時の自分には難しいのと、お化けが出るステージの影響で実際に全クリしたのは数年後。
このゲームは祖母と一緒に町のゲーム屋で購入したのだが、店主のおじさんに欲しいソフトをいう前に6つの金貨が欲しいのだろうと当てられて驚いた覚えがある。どうしてわかるのか理由を尋ねたら顔に書いてあると言われ、当時はその慣用句の意味が分からずさらに混乱した。
しかし何故おじさんが欲しいゲームソフトの予測がついたのかは永遠の謎である。幼い自分の振る舞いをみればまさしく顔に書いてあったのだとは思うが、一体どんな様子だったのやら。
クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶ園児
あのクレヨンしんちゃんのアクションゲーム。Xボタンでジャンプという常識はずれな操作体系だったが、当時でボイスがついていたりグラフィックもそれなりに良かったのでキャラゲーとしては今見ても悪くはない。アクションもターゲットがキッズ向け故にそこまで難しくもなく、幼い自分でも問題なく遊べていた。ただこのゲームは二面に幽霊屋敷ステージがあり、ホラー耐性0の自分はそこでしばらく詰んでいた。しかしこのゲームが真の意味で詰みゲーとなってしまった原因は幽霊屋敷ステージの後のミニゲーム吉永先生との旗揚げゲームである。このミニゲームが幼い自分には難しすぎて子供向けのゲームにも関わらずクリアするまで数年を要することになった。このミニゲーム、後に調べるとやはり難所の一つだったようで数多くの子供たちを絶望させていたらしい。難易度調整もっとちゃんとやって。
ファイナルファンタジー5
FF4は当時の自分はそこまではまっていなかったので親父が買ったのかもしれないし、パッケージのキャラクターを見て自分も欲しいとか言っていたかもしれない。それなりに頭を使えるようになったのか初めてまともにやったRPGは実はこのFF5といえる。ジョブシステム、表情豊かなドット絵、わかりやすく明快なストーリーと幼いながらもRPGは面白いと思わせるに至った作品。といっても幼い自分は攻略本を見ないとまともに進められないのもあり、攻略本を使いつつゲームをすすめていた。攻略本には4コマ漫画がついていて、その漫画も楽しかった思い出。このゲームで魔法剣の強さとかっこよさに魅せられ魔法剣というスキルに過剰な期待を寄せるようになってしまい、どのゲームにおいても魔法剣をとりあえず使うようになる。後にこの習性のせいでドラクエ6でハズレ上級職の魔法戦士を選んでしまう。ちなみにラスボスまではなんとか行けたもののまったく歯が立たず、数年後に全クリした時も銭投げ連打というパワープレーでクリアをした。
聖剣伝説2
圧倒的なグラフィックと音楽によるオープニングには子供ながらに感動した作品。
当時友達とゲームをするという時に対戦ではなく二人で協力して遊べるゲームとして重宝していた。
聖剣伝説2といえばセレクトバグなどバグの数々で有名だが当時の自分は一回もバグに遭遇したことがなく、後年にバグの多さを聞かされてもまったく実感がわかなかった。当時の自分は獣人の強さとダンジョンの不気味さにより序盤の魔女の城?で詰まっていて、しばらくの間は魔女の城までいっては最初からゲームをやり直すという謎の周回プレイで遊んでいた。
この進捗状況だと魔法すら使えない状態なので、初めて魔女の城のタイガーキメラを倒して魔法を使えるようになったときは感激したものである。このゲームも実際に全クリしたのは数年後。
ドラゴンクエスト5
初ドラクエ。親子三代にわたるストーリーとドラクエのポップでかわいいモンスターが仲間になるというシステムは大変面白かった。自分が当時ドラクエ派になったのはこのドラクエ5があったから。ちなみに今もどちらかというとドラクエ派。仲間モンスターはスライムナイトのピエールがお気に入り。耐性、覚える魔法、装備の優秀さを考えると当然。またこれは運が異常に良かったのかカセットのROMの仕組み?上そうなっているのかわからないが、自分のプレイでは何故かデモンズタワーではぐれメタルを意識せずとも毎回仲間にできていた。はぐれメタルを仲間にするために苦労していた友人にはよく羨ましがられていた。毎回と書いているのは当時のドラクエの伝統芸セーブデータロストが頻発して何回もやり直しているから。
初めてプレイした時はレヌール城が怖すぎて序盤にしてしばらく詰んでいたという記憶がある。ちなみにレヌール城の次はデモンズタワーが怖くてしばらく詰んでいた。子供の頃の自分はホラー耐性がなさすぎる。花嫁は常にビアンカを選んでいたのでフローラが最初はNPCキャラとして動くこと、水の羽衣がプレゼントされることは長い間知らなかった。例に漏れずドラクエ5も攻略本を買ってもらっていて特に装備や道具の挿絵がついた攻略本はよく眺めていた。シルバーメイルとかかっこよかったので段ボールで作っていた。これも例に漏れずミルドラースを倒したのは購入から数年後である。基本的に自分はRPGを買ってもらった当時にクリアできたことはほとんどない。
スーパーマリオカート
初のレースゲー作品。今も昔もレースゲーはまともにはこれしかやったことがない。
友達と対戦モードで遊んだりレースをしたりと普通に楽しんでいた覚えがある。
結構頑張ってはいたが当時は150ccのレインボーカップを制覇することはできなかった。
またTV番組のスーパーマリオクラブ?でやっていたタイムアタックを見て自分もよくその真似事をしていた。ドンキー使ってたあのお兄さんは今どうしているのだろう。
当時はゲームをわざとバグらせるという遊びにはまっていて、このマリカートは特に動作中に微妙にソフトと本体の接触部をずらしたり、振動を与えたり、わざとカセットの端子部分を汚したり弄るというとんでもないことを友達と一緒にしていた。俺が親だったら怒る。
任天堂の強固なハードウェア設計により本当に完全に壊れたことは一度もなかったが、ひどい遊び方をしていたと反省する。
これがプレイステーションだったら本体含めて本当に壊れてしまっていただろう。
T.M.N.T. タートルズ・イン・タイム
KONAMIより発売の忍者タートルズのベルトスクロールアクションゲーム。
タートルズの四人の中から好きな亀を選び自由の女神を盗んだシュレッダーを追う。
他のベルトスクロールアクションゲームと比較するとアクションがかなり軽快であり、当時も今も隠れた名作として評価されている。
忍者タートルズ自体は衛星放送でやっているのを友達の家で何度か見て好きなアニメだった。タートルズのやっている衛生放送を見たいので親にアンテナ設置をお願いしたが当然のごとくその提案は却下されたので友達がとてもうらやましかった。ちなみにタートルズの中で一番好きなのはミケランジェロ。何でと言われると明るくて面白いからという小学生女子みたいな理由。あと当時空手をやっていてヌンチャクをさわっていたのもあるかも。
今調べるとこのタートルズのアニメのタイトルは「アイドル忍者タートルズ」だったらしい。なんでこんなタイトルになるし。
ファイナルファンタジー6
ドラクエ5、FF5でRPGの面白さに目覚めていたのでFF6は自分の意思で買ってもらったように思う。このころくらいから親父はあまりゲームはしなくなっていて、一人でゲームをするようになっていた。FF6といえばバルガス戦のマッシュの必殺技コマンドの説明の意味がわからずしばらくの間詰んでいた。当時の格闘ゲームというものを知らない自分にとって、マッシュの「ひっさつわざを選んで→←→Aだ」は意味がまったく分からなかった。子供とはいえ色々なゲームで序盤で詰みすぎである。結局友達の家で格闘ゲームと必殺技コマンドという概念を知ることで初めてバルガス戦のマッシュの言葉の意味が分かり攻略することができた。あの時友達の家でストリートファイター2をやらせてもらえてなかったら、もっと時間がかかっていただろう。
FF6は仲間キャラクターが大勢いて色々なキャラクターを育てないとラストダンジョンがまともに攻略できないので、マッシュ、エドガー等わかりやすい強キャラ以外はまったく育成しない自分には難易度が高く、これもまた数年後まで全クリはできなかった。当時はキャラクターの名前を知っている人の名前に変えることを好んでやっていて、ティナを妹の名前に、ロックを自分の名前、セリスを母の名前にしていた。ただそのせいでシナリオが進むにつれ自分と母親がいい感じの恋仲っぽくなっていき、子供ながらに親の名前をつけたことを後悔した覚えがある。
聖剣伝説3
1995年に発売されたスクエアのアクションRPG。
1995年というのは次世代機を控えたSFCの最後の花火みたいな年で、SFCでの開発ノウハウも極まってかハイクオリティな作品が多かった印象がある。そのためこの年は欲しいゲームがかなり多く、どのようにゲームを買ってもらうかに日々の頭を使っていた。後述のドラクエ6、クロノトリガー、スーパーマリオRPGと今でも名を遺す名作が生まれたのもこの時なので、そりゃ全部買ってもらうのには大変だったろう。この聖剣伝説3もそんなSFC黄金期を支えたゲームの一つ。
聖剣伝説2と比較するとアクション要素が薄くなりストーリ、キャラゲーとしての要素が強くなったのがこの聖剣伝説3。
6人のキャラクターの中から自由に3人選ぶとその組み合わせで3種類のルートに分岐するトライアングルストーリーが話題だった。あとドット絵のクオリティもかなり高かった。
後年、聖剣伝説2に比べて薄くなったアクションのせいで3は余り評価は高くなかった印象だが、個人的にはわかりやすいストーリーやキャラクターとしての魅力の高さもあって今でも聖剣伝説3のほうが好き。
結局この作品も例にもれずラストダンジョンで何故か詰まってしまい、発売当社はクリアはできず数年後にクリアをする。
その際には3種類のルート全てを網羅してクリアしたが、ストーリーの分岐差分が思ったよりも少なくて少しがっかりした。
ドラゴンクエスト6
ソフト購入の権利を使い切ったにも関わらず祖母にお願いして買ってもらったドラクエ6。
当時やったことはなかったが評判の良かったドラクエ3の職業システムに似たシステムを搭載したドラクエということで自分の中でも期待があった作品。実際発売当時は品切れ続出でドラクエのすごさを感じていたように思う。職業システム自体は魔法戦士という罠上級職を引いて自分の名前を付けた主人公がPTでもお荷物という悲しい状態だったが楽しんでいた。
今ではドランゴ引き換え券扱いのテリーだが、ストーリー的に強キャラっぽいという理由だけで何故か一軍採用して冒険をしていた。武道家をマスターしてないインチキバトルマスターなので内心弱いなと思いつつも、強キャラ味がありかっこいいというだけで使う理由には十分だった。
初回プレイでは最後まで僧侶の職業についていたのはミレーユだけであり、本来僧侶系であるはずのチャモロは魔物使い枠でレンジャーへの道を突き進んでいたせいか回復が貧弱なPTだった。
最終的にはアクバーに勝てなくて詰んでしまった。その後もドラクエ6は何度かリトライするものの実はいまだに全クリしたことはない。唯一全クリできてないドラクエ。
クロノトリガー
スクウェアとエニックスが協力したら最強のRPGができるねという当時の妄想をそのまま形にしたようなRPG。
情報に疎かった自分ですら親に予約して買ってほしいと強くお願いした覚えがある。
RPGはそれなりにやっていたが、実はまともに一回もクリアしていなかった自分が初めて買った当時にクリアしたRPGだったかもしれない。強くてニューゲームという画期的なシステムを採用したゲームでそのシステムを使って何週もした。PTはクロノ、カエル、魔王という子供が好きそうなわかりやすい構成。カエルについては当時から実はそんなに強くないとは思ってはいたものの、完全に好みでPTに入れていた覚えがある。子供のころの自分はわりとキャラクター愛が強かったのかもしれない。
スーパーマリオRPG
すっかりスクウェア信者になっていた自分がスーパーマリオRPGを欲しがるのは当然の帰結だった。このゲームは子供向け雑誌での紹介記事も多かったのもあってか子供の間でも発売前から結構話題になっていたように思う。
このスーパーマリオRPGはやけに隠し要素が凝っていたせいか、それに付随して都市伝説のようなガセネタが当時の子供の間で話題になっていた。自分が聞いたガセネタで覚えているのはヨースター島でもらえるヨッシーソード?を装備して、カジオーにスペシャルを使わずに勝利するとルイージが仲間になるとか(カジオー倒したらEDなので仮に仲間になっても意味はない)、細かいの含めてわけのわからないガセネタが色々あり、そこらへん含めて面白かった覚えがある。
このゲームもたしか当時の自分で全クリできた数少ないRPGのうちの一つである。
星のカービィスーパーデラックス
初代の星のカービィ自体は数年前にゲームボーイとセットで買ってもらっていた。
カービィの代名詞であるコピー能力だが、初期作であるゲームボーイの星のカービィではまだコピー能力がなかった。ファミコン版の星のカービィでコピー能力があるカービィを見て、なぜ自分のゲームボーイのカービィではコピーできないのかと当時悩んでいたが、今思えばそれは仕様だからである。そんなわけでコピー能力のあるカービィにあこがれていた自分にとって、コピーができるカービィが遊べる星のカービィスーパーデラックスはmust buyなゲームだった。
当時2人で同時協力プレイできるゲームというのはそこまで数が多くなく、友達と一緒に協力してゲームができるこのゲームは大変重宝した。コピー能力の中ではミラーと忍者を好んで使っていた。よくセーブデータが消えてしまっていたが、それを口実にまた友達と最初からゲームを遊びなおしていたのは良い思い出。
ポケットモンスター緑
ポケットモンスターは発売から半年後くらいに周囲での話題の多さに買ったゲームだと記憶している。ゲームボーイ自体はずっと前に初期型のやつを星のカービィとセットで買ってもらえてはいた。
このころくらいから祖母の支援でゲームを買ってもらうのが厳しくなり、誕生日とクリスマスの二大イベント以外では何かを買ってもらうのは厳しくなってしまった。そんなわけで初めてなけなしのお小遣いを貯めて自分で買ったゲームだと思う。ヨドバシカメラで小銭を使いまくってゲームソフトを買う姿は微笑ましかったかもしれないが、今思うとかなりの迷惑行為である。10円玉うん十枚使うとかそういうレベルでの買い物だった。
本当はポケモン赤がかっこよかったので欲しかったのだが、赤が売ってなかったので緑を買った。ちなみに最初はヒトカゲを選んだのだが、火は弱いという話を聞いてすぐにフシギダネに変えてやり直した。今思うとそれならゼニガメを選べと思う。フシギダネにしたのはパッケージのポケモンというのもあったのかもしれない。
今のポケモンも相当な力を持つが、当時のポケモンのブームもかなりのもので普段ゲームをしてない子ですらポケモンには手を出していた。よくある話だが交換、対戦をするのに必要な通信ケーブルをもつ奴は神扱いされていた。
自分の周りでの楽しみ方は対戦派と収集派で分かれていて、自分はどちらかというと収集派に近かったように思う。対戦派でなかった原因としてミュウツー6匹というテンプレのような厨パを使って対戦してくる奴がいたから。ちなみに図鑑完成のための最後のポケモンはケンタロス。ポケモン青を持っている人と交換して手に入れた。ポケモン青だとNPC交換でケンタロスが手に入るのでレアポケモンであるケンタロスも収集しやすかった。
収集派だった自分がポケモン図鑑を完成させた後はセレクトバグで自己再生を覚えたミュウをスターミーから生成して周囲に配布するという謎の慈善事業をしていた覚えがある。その後もポケモンカードゲームや友達の家でポケモンスタジアムで遊ぶなど当時の普通の小学生がやりそうなポケモン関連の遊びは大体やっていた。その遊びの中にはアニメポケモンのポリゴンショックの上映会というとんでもないものもあった。人の家でしかも保護者が見ている前でやることではないし、あれだけ騒ぎになっていたのになぜ止められなかったのか不思議である。
ドラゴンクエスト3リメイク
ファミコンを持ってないので手が出せなかったドラゴンクエスト3のSFCリメイク。
転職システムの評判はしっていたのと新実装の性格システム、すごろく場とプレイ前から期待感は高かった作品。
プレイしてみると期待通りの出来で個人的にはドラクエ最高傑作は現状もこのリメイク版ドラクエ3。
ちなみに素でやった性格診断結果は"なまけもの"。あんな岩運び真面目にやるやつおる?
最初のパーティーはゆ、ぶ、そ、まとかなりスタンダードな構成。今も昔もなんだかんだスタンダード構成が一番好き。たしか魔法使いを賢者に転職させていたと思う。
個人的に惜しむところはドラクエ1をきちんとやらない状態でドラクエ3をやってしまったために、地下世界に落ちた時の感動が薄かったところか。当時、時系列順にドラクエをプレイして地下世界に行った人と同じ感動は味わえないのはとても残念である。
ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド
ポケモン人気に便乗したとしか思えないドラクエのモンスターを捕まえて戦わせるというドラクエスピンオフの作品。
当時多数あったポケモンライク作品の中でまともに生き残ったのは結局この作品だけかもしれない。メダロットも当時成功はしていたが生き残った感はない。
ゲームシステムはポケモンにモンスター同士の合成要素を加えたようなシステムで、どんな組み合わせでどんなモンスターが生まれるかというワクワク感が非常に面白かった。あとはドラクエ形式のPTを組んだ多対多の戦闘というのもポケモンと違う。
というか今見るというほどポケモンライクではなく、どちらかというとメガテンライクといったほうが正しい。ポケモン要素は通信対戦、交換部分くらいか。ただこの通信対戦、交換がポケモンの革命的な要素でもあるのでやはりポケモンライクともいえる。
ゲームとしては一人プレイ用RPGとしては十分楽しめたが、対戦はマダンテぶっぱげーだったり、パラメータがALL 999にできるなどモンスター毎の個性が弱めなのもあってやっていなかった。ただし対戦がAI任せでプレイヤーは大雑把な指示しかできないという要素は面白いなと思っており、手塩にかけたモンスターを最終的には見守るしかないというのは育成ゲームとしては非常によい要素だなと今でも思う。
爆ボンバーマン
隠れた名作として名高い爆ボン。SFCのころからボンバーマンの対戦は好きだったので購入。
初の64ソフトはマリオ64ではなく爆ボンバーマン。これまでのボンバーマンが2Dの世界だったが、この作品では3Dの世界で爆発も球形に広がるという異色作。Nintendo64という比較的子供がターゲットになりやすい機種なのにボムジャンプをはじめとした裏テクを必要としたり、真EDを見るにはゴールドカードコンプリート要求する等、想像以上にハードな難易度で小学生の自分にはなかなか大変だった。といってもなんだかんだ全ゴールドカード取得もしたし、対戦もかなりやりこんだりとよい思い出。爆弾が一切無くても場外にプレイヤーを投げるだけで勝てるボンバーマンは今も昔もこれしかないかも。
クラッシュバンディクー3
初めてプレイステーションを買ってもらった時に一緒に購入したソフト。
唯一やったことのあるクラッシュバンディクーは3だけ。クリア自体は簡単だが、やりこみが結構大変で結局ダイアモンドのコンプリートはできてない。というか今もたぶんできない。クラッシュバンディクーの踊りはなんとなく今も覚えている。
007ゴールデンアイ
スパイ映画007ゴールデンアイのゲーム化作品。おそらく日本コンシューマー機で最初にヒットしたFPSはこの作品だろう。
自分は対戦しかしていなかったが、リモート爆弾でのリスキルあり、一部チートコード入力ありなわりと何でもありな環境で対戦していた。
相手の画面を見て相手の位置を予測したり、攻撃をよけたりと独自の謎テクニックがあった。
透明化チートのコマンドは当時暗記していたのだが当然ながらもう忘れてた。
大乱闘スマッシュブラザーズ
いまや任天堂の看板シリーズのスマッシュブラザーズの第一作。
TVのCMで「ふっとばせー」という少年の掛け声は今も記憶に残っている。
任天堂オールスターズということでマリオを始めとしたキャラクター達がたくさん出演していたが、サムス、キャプテンファルコン、ネスについては自分は知らなくて、特にキャプテンファルコンが隠しキャラで出てきたときは周囲の友人の間でこのキャラ何?という感じだった。
当時はカービィは最強キャラとして扱われることが多かったのもあり、友人内ではカービィを使うやつは集中リンチにしてもよいという協定が結ばれていた。当時の悪と見なしたら一切の容赦なく叩いてもよいというノリは、子供にありがちではあるがなかなかに危険な思想ではある。
ちなみに自分は持ちキャラはピカチュウ。ポケモンは正義である。
カスタムロボ
何の事前情報もなく店頭でこれは面白いはずという直感で買ったアクションゲーム。
自分のこの面白いという直感はわりと当たるほうなので、今でもたまに直感買いしている。
結果的にはコロコロ的なホビーが世界の全てを決めているような世界観、ロボカスタマイズの面白さと自分の好みにばっちり合う作品だった。想像通り面白く仲間内でもかなり流行ったので、後作のV2含めて対戦は結構やっていた。
アーマードコアも死んでしまったし、こういうタイプのゲームがもうちょっと増えると個人的にはうれしい。
と思ったら2023年にアーマードコアは息を吹き返した。やったぜ。
ファイナルファンタジー7 インターナショナル
マスメディアでもかなり取り上げられたらしいのだが、何故かその当時にCMや情報を見聞きした覚えの一切なかったFF。発売当時はプレイステーションを持っていなかったので興味もなかったのかもしれない。発売から数年後のFF8のCMをみてFF7がいつの間にか発売していたことに気づく。購入したのもFF8が発売した直後くらいに話題のFF8が買えなかったのでその代わりという適当な理由。
当時はストーリーはあまり印象にのこっておらずただクラウドさんかっけーくらいのノリでゲームしていた。
今振り返ると時代の流れにのっていたテーマの作品だったし、キャッチーなポイントも多く印象に残らなかったのは自分の理解力のなさが一番の原因なのではと思っている。
マテリアシステムは結構気に入っていて、自分のなかでのFF7への高評価はほぼこのマテリアシステムによるものが大きい。
あとはチョコボレース、スノボー等々のやりこみ要素のたかいミニゲームがあったのも当時の高評価ポイント。
ファイナルファンタジー8
FF7も終わったタイミングでそのまま8へ。FF8はやはり当時最先端のグラフィックが印象的。この後定期的にでてくる「もう、これ実写やん」という感想を抱いた第一作かもしれない。今見ると全然実写じゃないのだが。
ストーリーというかキャラクターの心理描写がややこしい作品なので、例のごとくそこまで深くは理解しておらず、相変わらずスコールさんかっけーくらいのノリでゲームしていた。
よく話題になるジャンクションシステムについても当然理解できておらず、ジャンクションをしてパラメータが増加するのは理解できていてもパラメータ上昇がどの程度ダメージに寄与しているかわかっていなかった。そのため魔法集めは一切せずにジャンクションをしていたせいで、ろくすっぽもキャラクターを強化できていなかった。ドローでの魔法集めとか面倒すぎてやるわけないし、カードでの魔法生成の有用性も気づいていなかった。FF8のよくある罠パターンだが、結局レベル上げればいいくらいの感覚でいたのもある。
そんなわけで戦闘もGFだよりでラストのアルティミシア城で詰んでしまった。一応後でシステムを完全に理解して全クリしているが、ジャンクションシステムというかチュートリアルの流れがやっぱりよくないよねとは今でも思う。
ちなみにカードでの魔法生成には気づいてなかったが、カードのミニゲーム自体は結構はまっていた。
クロノクロス
あの大作クロノトリガーの続編であるクロノクロス。買わない選択肢はなかった。オープニングムービーの出来は今見ても秀逸だし、これを当時見た時はとんでもねーものが出てきたなと思った覚えがある。
実はクロノクロスの発売日はポケモン金銀の発売日の数日前でポケモン金銀との二択になっていたのだが、ポケモンは子供のやるものという大人な理由でクロノクロスを選んだ。なおポケモン金銀も結局その数か月後に購入した模様。当時子供なんだからポケモン金銀をやらないわけがない。
クロノクロスは今見ても小難しいストーリーなので、当然ストーリーをまったく理解できていなかった。
さらに一年後くらいに友達から真EDの存在を聞いて初めて真EDの存在を知る始末。
当時ノーマル(バッド?)EDを見た後にあまりにストーリーが理解不能だったので攻略本を買おうと思ったのだが、間違えて設定資料集を買ってしまった。当時は何を買ってしまったのかと後悔したが、今では攻略本よりも価値のあるものなので間違って買ってよかったかも。
しかしこの時代のスクウェアのRPGのストーリーは全般小難しくて尖りすぎてないかと思う。
ポケットモンスター金銀
クロノクロスを買うので購入しなかったポケモンだが、結局周囲の友達の影響で購入。
ぶっちゃけクロノクロスのストーリーが難解すぎて総合的に微妙な評価に落ち着いたところでのプレイだったので、そのシンプルな面白さに感激していた。最初から素直にポケモンを選んでおけばという話である。
最初の3匹はチコリータを選択。以後最初の三匹は必ず草タイプを選ぶようになった。
赤外線通信を作ったふしぎな送りものや、通信交換時に電源を落とすことによるポケモン増殖バグなどそれなりに楽しんでいたとは思う。ただ赤緑ほどに楽しんでいたかというとそんなわけでもなく、主にストーリー上で最強のレッドを倒しておしまいという程度でポケモン図鑑を完成させることもなく辞めてしまった。今思うとポケモン赤緑は最終的にバグ技を楽しんでいたのであり、そこらへんのバグ技が減ってしまったのが金銀にそこまでハマらなかった原因なのだと思う。
バハムートラーグーン
PS1市場も成熟した時代の中で手を出したSFCのシミュレーションRPG。それがバハムートラグーン。
本当は発売同時にやりたかったソフトの一つなのだが当時は購入できず、発売から数年後に友人の家で無造作に転がっているのを発見して貸してもらった。
バハムートラグーンといえば有名な迷?ヒロインのヨヨだが、キャラクターにそこまで愛着もないし、ヒロインに好きな人の名前を付けるというムーブもしていなかったので当時は特には気にもしてはいなかった。
ストーリーとしては空中浮遊する大陸ラグーンという設定や、育成の仕方次第で形が変わるドラゴン育成のシステムが好きだった。あとは現代レベルで見ても十分に通用する2Dドットアニメーションは素晴らしいの一言。
ただシミュレーションRPGというジャンルの敵の攻撃、移動範囲を逐一確認して全ユニットを毎ターン動かすのがめんどくさくなり全クリには至らなかった。これまで数年後に全クリするパターンはよくあったが、本作については本当に今も全クリできていない。
そんな扱いの本作だがバハムートラグーンのバトルミュージック自体は結構お気に入りで、一時期は着メロに設定していた。今聞いても特にイントロ部分がかっこいい。個人的には今のHD2Dリマスターの流れでリメイクしてくれないかと願う。
ヴァルキリープロファイル
綺麗な2Dビジュアルと当時はあまり触れていなかった北欧ベースのダークファンタジーRPG。開発元はトライエース。
当時中二病的な物に惹かれる年頃だったのもあり、物悲しい雰囲気のTVのCMで興味をもって購入。
このCMは当時のゲームCMとしてはゲーム画面がほぼ出てこなく少し異質なほうだが、今見てもよくできているとなと思う。
ゲーム中に扱う数字の桁が今まで触れたたRPGと違い万単位で始まったり、用語もすこし独特で各道具にフレーバーテキストがあったりなどそれまで主にスクエアのRPGをやっていた自分にはわりと新鮮なゲームだった。
英語が不得意なのもあって攻撃力がSTR、命中がDEXとかの紐づけもまったくできなくて、各種パラメータが何を指すのか理解するのにも一苦労した覚えがある。AVDがアボイドとかわからんし、そもそもアボイドってなぁに?という話である。
初週は精霊の森の雑魚敵マンドラゴラの異常な強さに詰まってしまい、後に友達に攻略本を借りてクリアした。
最終的にガッツスキルでゾンビアタックになるバランスはどうなのかと思うが、トライエースの作品は最終的にはメチャクチャなバランスになるのは常なので仕方がない。
テイルズオブエターニア
髭こと当時のファミ通の編集長 浜村弘一が何故か子供たちとゲームについて語り合うという少し変わったTV CMで知った作品。
当時友人の間で話題だったスターオーシャン2が何故か店で見当たらず、CMで少し興味もあったし欲しいソフトが見つからないからという適当な理由で購入。
スーパーチャイニーズワールド2よろしくかなり自由にアクションできる戦闘システムで、やろうと思えばレベルを上げなくてもアクションさえ上手ければボスに打ち勝てるRPGというのが新鮮だった。妙に凝ったミニゲームが多かったのも当時の自分には好印象。当時のRPGは隙あらばミニゲームを多数追加してたが、あれは何だったのだろうか。
この後しばらくマシンガンのごとく高頻度で発売されまくるテイルズオブシリーズだがシリーズのシステムのベースを作ったのはこの作品だし、なんなら一番の名作は未だにこの作品なのではと思っている。
ついでに辞書みたいな攻略本を買ったのもこの作品が初。あんな分厚い本をよくもまぁきちんと読んでいたなと思う。
テイルズオブディステニー
テイルズオブエターニアが思いのほか面白かったので友達に話したところ、過去作のテイルズオブディステニーを辞書みたいな攻略本とセットで貸してくれるとのことでプレイした作品。
エターニアの前作に当たる作品で戦闘システムもエターニアほどのアクションの自由度がなく、エターニアをやった後の自分では正直微妙なゲームだなという感想だった。
この作品で覚えているのはゲーム本編そのものよりも一緒に借りた攻略本のこと。
当時ゲームの攻略本を読んでいると怒られるのでトイレで読むようにしていたのだが、うっかり借りていた攻略本をトイレにダイブさせてしまった。ただでさえ水で濡らしてしまったのにそれがトイレの水というのもあり本を返すのにどう言い訳するか悩んだ覚えがある。結局平謝りしてパリパリになってしまった攻略本をそのまま返したが、あくまでコップの水をこぼしたと嘘をついて返却した。
なんだかんだ笑って受け取ってくれた浅野君、本当にすまん。
バーガーバーガー
友達が面白いというので貸してくれたハンバーガー屋経営シミュレーションゲーム。
マク〇や〇テリアをもじった競合チェーン店と売り上げを競いながら店舗数No1を目指す。
キャビアを始めとした非常識な具材を使ったオリジナルハンバーガーの開発が売りのゲームなのだが、開発した非常識なハンバーガーが意外にバカ売れしたり想像どおりまったく売れなかったりするのが面白い。
本作はオリジナルバーガー販売が売りの要素ではあるのだが、自分は最終的にはただの肉が一枚だけ入ったハンバーガーセットだけを売るという戦略を取っていた。サイドメニューもない、ハンバーガーも一種類しかなくしかもセットメニューしかないという糞ハンバーガー屋だったが無事に市場を制していた。ハンバーガーそのものが珍しい世界なのかもしれない。
ちなみに唯一のセットメニューの名は"バズガーミミ"。音だけ覚えているが意味は自分でももはやわからない。
ハンバーガーのメニュー次第で売り上げがわかりやすく変化し、売り上げという数字の変化に一喜一憂する経営シミュレーションゲームの面白さを初めて知ったのはこの作品。
このバーガーバーガーの思い出もあり、たまに思い出したかのようにシミュレーションゲームに手を出しては挫折するという発作を今でも繰り返している。
ファイナルファンタジー9
PS1最後のファイナルファンタジー。8への批判の影響なのか、原点回帰を謡いキャラクターの等身もリアルなものから4等身程度のデフォルメされたモデルが採用された。コカ・コーラとのコラボCMが印象に残っている。
当時は友達とゲームの早解きをするのが流行っていて、ファイナルファンタジー9についても誰が一番に早くクリアするかを競っていた。たしか金曜日発売なので学校から帰った後にそのままゲームを始めて日曜日には全クリしていた覚えがある。結局誰が一番最初にクリアしたのかはわからないが、僅か数日でクリアしたことによってゲームを楽しめる期間が短くなったことを後悔した。これ以降無理な早期クリアを狙うことを自分はしなくなった。
FF9といえばデジキューブのコンビニ販売に力を入れていた時期であり、コンビニ予約でビビの人形がついてくるので自分もコンビニで予約をしていた。後にも先にもコンビニでゲームを買ったのはこの機会だけだが、近場のコンビニでゲームを買えるのは便利だった。
ゲームとしては前作FF8がかなりマニアックな仕様のシステムだったが、本作はかなりシンプルなシステムになっており個人的にはあまり期待はしていなかった。実際ゲームシステムもストーリーも前作と比較するとかなりシンプルになっていて、それはそれで良いという意見も理解できるが、当時の自分としてはもう少し凝ったシステムにしてほかったという感想だった。
ドラゴンクエスト7
今年は発売されますようにと神社で願掛けするCMが出る程度には何時発売するかわからない状態になったドラクエ。今見ると6と7の発売間隔は5年程度しかなく、現代の感覚でいえばそこまで異常なレベルでもないのだが、それまでが2,3年に一度出るようなペースだったので5年ドラクエがでないのは異常だったのだろう。制作発表が早すぎたり発売延期をし過ぎたというのもあるのかもしれない。
実際発売されたドラクエ7はその製作期間に比例するような大ボリュームでありクリアに100時間を超すというのが珍しくもないほどだった。
システムとしては6の職業システムをシンプルにボリュームを増やして発展させたもので、6の職業システムはあまり好きではない自分としては少し残念だった。当時の思い出としてもシステムが6ベースというのもあるが、期待したほどの作品ではなかったという感想で、自身のドラクエ愛が薄らいで来ていると感じる作品だった。金もない子供の頃なのでシンプルにゲームボリュームが多いというのは嬉しいのだが、流石にクリアに100時間超となると終盤には飽きも来ていて作業ゲーに近くなっていた。やはり何事も長ければ良いわけではない。
良い思い出としてメモリーカードを持ち寄ることで友人の町の住人と自身の町の住人を交換できる要素でわいわいした覚えがある。当時の物理メディアを持ち寄っての交換というのは不便ではあったがそれはそれで面白さがあった。ドラクエの知名度とこのシステムのおかげ?で当時ほとんど交友の無い人の家にもいって住人の交換をしていた。あとは当時はまだインターネットの普及率がそこまで高いわけでもなく、攻略サイトの印刷依頼という謎のコミュニケーションもあったりしたのが時代を感じる。
ドラゴンクエストモンスターズ2 マルタのふしぎな鍵 ルカの旅立ち
ドラゴンクエストモンスターズの続編。ドラゴンクエストモンスターズにさらにモンスターをプラスして、ポケモン商法よろしく2バージョン発売という暴挙にできた作品。ただこのゲームは悲しいことに2バージョン同時発売ではなく、女の子が主人公のイルバージョンの発売が一か月程度おくれてしまった。そのため結局全員男の子主人公のルカバージョンでプレイせざるを得なかった。遅れた原因は不明だがおそらく売り上げに相当なインパクトを与えたと思うので、責任者がどうなってしまったのか心配である。
ゲーム内容は前作のドラゴンクエストモンスターズとほぼ同様の内容だが、本作では通信要素が強化されており、別バージョンのソフトとの通信交換できないとできないコンテンツもあった。ところが本作はそもそも2バージョン同時発売ができてないので、この別バージョンとの通信交換要素ができずに当時かなり盛り下がった覚えがある。
またモンスターも多数追加されたが、ドラクエ本編にでてこない珍妙なオリジナル魔王たちが追加されていたり、モンスターが増えた分配合手順もかなり複雑になっていたりで初代ほど熱中はできなかった。
2は駄作が多いという話はよく聞くが、本作もその例に漏れず1を超えられなかった悪くはないがいまいちな作品だった。
バウンサー
クリスマスに無事にPS2を買ってもらったが、PS2ソフトは無いのでPS1のゲームばかりをしていたところに友人から貸してもらったバウンサー。開発元はスクウェア。「DVDでゲーム、DVDでゲーム」という謎のセリフが連呼されるTVCMが流れていたので、どういったゲームかは不明だが存在自体は強く認知していた。今確認してもゲーム内容については一切触れていないCMだったので、このCMでどれだけの販促効果があったか疑問である。
そんな謎のバウンサーだが、今でいうムービーゲーであり、ムービーの合間に微妙な3D格闘アクションが挟まるという代物だった。驚きなのが2,3時間もあれば全クリできてしまうほどのボリュームの少なさ。貸してもらう時点であまり面白くなかったとは聞いていたが、そのボリュームの少なさとゲームとしての微妙さに確かにと思った。これが定価6800円だったらしいので発売日に買った人はドンマイとしか言えない。
所感としてはスクウェア=ムービーゲーばかり作るという印象はこのバウンサーで植え付けられ、そしてこのバウンサーあたりからスクウェアは特にムービー偏重主義に陥ったのではないかと思っている。そして今見ると主人公のキャラクターがキングダムハーツのソラとしか思えない。