AIハルシネーションと弁理士の善管注意義務|弁理士 田中智雄
例えば、先行技術調査にAIを用いた際、ハルシネーションを見逃した場合の法的責任の境界線。
弁理士がクライアントから先行技術調査を受託する契約は、通常「準委任契約」にあたる。 (受任者の注意義務)
第644条 受任者は、委任の本旨に従い、善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務を負う。
「善良な管理者の注意」とは、その人の職業や社会的地位において一般的に期待されるレベルの注意力のこと。「AIが嘘をついたから」という理由は、プロフェッショナルとしての責任を免れる免罪符にはなり得ない。
2. 責任の境界線:どこからが「義務違反」か?
AIの回答をそのまま信じてしまった場合、以下の要素が境界線の判断材料になる。
「検証可能であったか」の壁(客観性)
AIが「特願202X-XXXXXX号に〇〇の記載がある」と回答した際、その公報が実在するか、該当箇所にその記載があるかを公的データベースで照合したかが分かれ目。
違反: 照合を怠り、存在しない公報や誤った内容をそのまま報告書に記載した場合。
免責: AIの要約に微細なニュアンスの差はあったが、弁理士が原典を確認した上で専門的判断を下している場合。
「技術水準」の壁(期待されるレベル)
その時点でのAI技術の限界(ハルシネーションのリスク)が専門家の間でどの程度周知されていたか。
現在(2026年)においては、AIのハルシネーションは「周知の事実」。したがって、「AIが言ったから信じた」という弁解は、高度な専門知識を持つ弁理士には通用しない可能性が高い。
3. 具体的な例:2つのシナリオ
AIが生成した架空の特許公報を「拒絶理由の根拠になり得る」とクライアントに報告し、出願を断念させた場合、義務違反の可能性大。 実在確認は弁理士の基本業務であり、それを怠った過失は重い。
AIが「先行技術なし」と回答。弁理士も通常の検索をしたが、AIの要約ミスにより超重要文献を見落とし、後に無効化された場合、状況による。 AIだけでなく、従来の検索手法を尽くしていたか、専門家として不自然さに気づくべきだったかが焦点。
ハルシネーションを見逃し、善管注意義務違反と認定された場合、クライアントから債務不履行に基づく損害賠償(民法415条1項)を請求されるリスク。 損害の範囲: 無駄になった出願費用、特許が取れなかったことによる逸失利益など。
免責の立証: 弁理士側が「現在の技術水準に照らして、最善の確認作業を尽くした(過失がない)」ことを証明しなければならない。
5. 実務的な防衛策
「AI使用」の開示と同意:
委任契約書や重要事項説明において、「AIを補助的に使用すること」「最終判断は弁理士が行うこと」「AI特有のリスク(ハルシネーション)」を明記し、クライアントの承諾を得ておく。
プロンプトと回答のログ保存:
どのような指示を出し、AIがどう答えたかの過程を残す(調査の透明性)。
ダブルチェックの徹底:
AIを「検索のヒント」として使い、引用文献の存在確認と読み込みは必ず人間が行うというワークフローの構築。