熟達論を読んだ
学びについて書かれている本。
読んで思ったことを書いておく。
長々と書いてしまったけど、その時に考えたことはその時にしか考えられないことだから、頭の中にあることを書いておく。
成長にはいくつかの段階がある。
そして、、その段階ごとに適切な練習方法も異なるから、ある段階でのアドバイスが、その人のその時の段階似合っていない可能性もある。
本気だけど、これが全てではない。という意識の方が力まなくてよいこともある。
程よく力が抜けている感じ。
力んでしまうと失敗しないようにしようって思って、逆に悪い結果になることもある。
力が入りすぎているとどうしても、固くなる。
自分の身体で体験して、わかっていく。
自分の経験だけが、本当の理解に繋がっていく。
あ!わかった!っていう体験は、忘れない。
遊びの心を持っていると、その目的は面白いからやる。という、それだけになる。
その、面白いからやる。っていうだけなら、本当の目標とかもなく、目標が達成できるかどうかを関係なく、燃え尽きも起きない。
面白いからやる。は強い原動力になる。そして、それをずっと続けられる。面白いものを色々触って遊んでいるだけだけど、実はそれが続けられる理由だったりする。
p55
面白いから行うという感覚は一つの防波堤である。何のためでもなく、ただやりたいからやっているのだと思い出すことができる。
自分なりに考えることも、遊びとおなじ。
最初から制限をかけるのではなく、自分なりにいろいろ考えてみて、その後に、その考えは今回のものにあっているか?を再度見直してみる。
そうしないと、なにかの枠の中でしか考えられなくなってしまう。
もっと自由に考えないといけないのに、最初から制限をかけてしまうのは力を抑えているのと同じ。
これは、上司に指摘されないように考えようってのも同じ。だから、上司に指摘されるとかはどうでもよくて、まずはまっさらで考えるってのは大事かも。
年齢を重ねたり、経験を重ねると、これをしたらどうなるのか?が予想が着くようになって、面白みが減ってくる。
面白さを感じ続けるには、変化による驚きが必要。
自ら、意図的に変化を起こして、その変化によって新しい展開を作っていく必要がある。
常に同じことだと、パターン化してしまい、飽きが来る。だから、変化をつけて違う結果をもたらすことで、常にワクワクしながら過ごせるようになる。
こうしたらどうなるのかな?って言う好奇心を持っていろいろ遊んでみると、いろんな結果が見れて楽しいのかも。
型とは、良い癖のこと。
人間は今までの習慣や癖で何とかなりそうな時にはそれを使ってしまう。どうしても楽をしようとしてしまう。
でも、それではずっと同じものを使ってしまうから、意識的に別のことをしようとしないといけない。
型を知ることで、その上でもっと自由に遊べるようになる。
型や土台がないと、全てがその場しのぎになって、身につかない。
型の本当の意味を知るのは、その効力を体験した時だけだから、それをやる意味を説明しても理解してもらえない。
これは、いろんなことに言えるかも。
テストコードでスタブを使いたくないってのはいろいろ説明するけど、それを実感しないと、よく分からんってなる。だけど、1回スタブだらけのテストコードを修正するっていう体験をすると、あ〜これはダメだわってなるはず。
自分で体験しないとわからないこともある。
型の上に個性がある。
型は先人たちの知恵を集めたもので、ほとんどの場合に有効なもの。共通点。
そして、その良いとされる共通点を習得してから、その後に相違点となる、個性を上乗せできる。
型は1回習得したら、それでおわりではなく、自分に馴染んできて自分に合ったものに変化していく。
型を習得するには、ただ続けるしかないけど、変化が見えにくいから諦めてしまう確率が高くなる。
でも、変化が見えるはず、とか、うまくなるはず、とか、そういう期待を持たないようにすることで、たんたんとこなせるようになっていく。
変化を期待しているけど、変わらなくて落胆して、やめてしまう。
でも、そもそも、変化なんていつ起こるかわからないし、それを期待するのは宝くじが当たるのを頑張る。みたいなものだから、最初から期待はしない方がいいのかも。
だから、型の習得には時間を費やすしかない。
p105
型の習得は、本来は自分で試行錯誤しながらたどり着く地点に、ワープするようなものである。先人が試行錯誤した結果として、型は出来上がっているからだ。だから、型をみにつけたほうが早く高度な段階に進める。
この文章を心に刻み込んでおきたい。
ある事象を見た時に、人それぞれで見る場所は変わる。それは、経験や知識の差によるもの。
熟練者と初心者では、経験と知識に差があるから、見るところが違う。
何が重要で、何が重要でないか。の判断ができるから、見るべきところを見れるようになる。
プログラミングでも、構文を熟知していればコードの細部を気にせずに全体をサラッと読める。とか、コードの全体的な構造に着目できるとか、熟練度によって見え方は変わってくる。
頭で「わかる」と、体験で「わかる」の違いについて書かれていた。
「わかった」と「わかったつもり」の違いは、自分自身の体験が元になっているかどうかのちがい。
わかったつもりは、頭で「わかる」ということ。
これは、本に書かれていることを頭ではわかっているけど、本当にわかってはいないみたいなことと同じかも。実際に仕事や日常で体験することで本当の意味でわかるようになる。
だとしても、まずは頭でわかっておいて、その後に自分で体験することで本当にわかるという順序でもいいのかも。
無意識的にその内容が頭にあって、あ!これのことか!っていう感じで繋がる気がする。
p142
「そうなるはずだ」と「そうなった」の間には大きな隔たりがあり、実際にやってみなければわからない。
自分自身でやってみて、わかったかもしれないをわかるに変える。
「できる」と「わかる」の違いについて書かれていた。
できるだけなら、結果がそうなればできていることになる。
でも、それをし続けるといつかは壁にぶち当たる。
わかっていない状態で進んでいると、うまくいかなくなった時に、どうしてうまくいかないのか?を理解できないからそこから軌道修正ができない。
これは、AIにコードを書いてもらったり、コピペだけをしていると、問題があった時に自分で対処できない問題と似ているかも。
だから、本当の意味でわかっておいて、わかった上でできるようになっておくと、問題にも対応できるようになる。
他の人に説明をするときにも、わかっていないと説明できない。
これを入力したら、できますよ。だと、それは本当にわかっていない。わかっているなら、内部がこうなっているから結果的にそうなるんですよ。って説明出来る。
あー、だから、他の人に教えたりすると、理解が深まるのか。理解が深まるのは結果的なはなしで、説明をするためには自分がわかっていないといけないから、わかるようにあれこれ考えたり、調べたりする。そうすると、ちゃんとわかるようになる。みたいな。
他の人に説明したり、教えたりすることでちゃんと理解できるようになるってこと。
心と空については、難しかった。
夢中になることで、自分を忘れて解放されるよ。みたいなことが書いてあった。
ふーんって感じで終わってしまった。