無文字社会への道|二|皐25
このエピソードでは、文字文明の終焉と無文字社会への移行について探求します。ホモ・サピエンスの言語の歴史や認識の変化、AIとの対話を通じて、今後の表現と存在の意義が論じられます。また、無文字社会の可能性について考察し、AIが表現方法をどのように変えるかに焦点を当てています。文字を使わずに存在確認やコミュニケーションができる新しい時代が到来することが語られています。(AI summary)
目次
無文字社会への回帰 00:03
AIとの対話と問い 03:04
無文字社会の可能性 05:16
表現とコミュニケーション 06:05
無文字社会への回帰
はい、おはようございます。早起きは三文の徳、皐月5月の2日、朝早朝4時15分、よいこの時間にお送りする早起きは三文の徳、前日の午後1時半に収録中です。
バルコニーに出てきました。今日は快晴で気持ちいいですね。日差しポカポカです。朝6度しかなかったんですが、昼は19度まで上がるということで、ワンコもお風呂に入ってシャンプー浴びて、今ひなたぼっこしてます。
はい、のんびりくつろいでるので、ちょっと車通るとうるさいと思いますが、早起きは三文の徳、喋っていきたいと思います。
無文字社会への道、はい、ホモ・サピエンスは文字を失っていく方向に行くんじゃないかっていう、これ一つのシナリオなんですね。
そうじゃないシナリオもあるんですが、結局ね、あのちょっとこれ、チャットGPTAIくんと喋ってたんですけれども、無文字社会への回帰、ホモ・サピエンスの文字文明の終わりの始まりなんじゃないか。
それから近代が終わって、新しい時代が始まる、まあそんな話なんですが、チャットGPT君はこんなこと言ったんですね。
無文字社会への回帰、けれどそれはかつての未開社会への前文字社会への単なる逆戻りではない。
そんなこと言ったんですね。だからいわゆる文字の無かった前文字社会から後文字社会ですね。
ポスト文字社会、ポストスクリプトソーサエティみたいなのが出てくるわけですね。
これをAIくんはポストリテラシー社会、文字を超えた後文字社会、ポスト文字社会、ワンコが吠えてますが、何でしょう。
ワンコが邪魔してます。ワンコは文字も持ってないし、言葉も喋れないんですが、感情表現はいっぱいあってね、言葉にならない言葉喋ってますけど。
ワンコが来たんでしょうか。はい、興奮してます。
これ結局、文字と言語が、全盛期はやっぱり近代なんですよね。文字文明がやっぱり一番花開いたのが近代で、それがやっぱりピークだろうというね。
ホモ・サピエンスは最初言葉を語るようになって、5万年以上かけて文字を生み出したんだね。
だから文字が生まれるまでは、言葉生まれてから5万年近くかかってるってことなんですが、文字を使い始めて5000年。
ほぼ全ての人間が、いわゆる文盲がいなくなって、全ての人間が読み書きするようになったのはやっぱり近代なんですね。
学校教育ができて、近代化の中で全てのホモ・サピエンスが文字をやっぱり読み書きできるようにならないと近代化に対応できないっていうことだったんですが、
それ近代以前はそんなことないんですよね。みんな文字は使ってなかったんです。圧倒的多数はね。9割以上は使ってなかったんですよね。
だから文字文明ってのは本当に一部のホモ・サピエンスのものだったっていう、近代にたまたま100%目指す方向で動いたって言うんだけど、
その近代が終わっていくんでこれから。終わっていくんでこれから。
そうすると文字は必ずしもいらないかもしれないって話になりうるわけですね。
だからそのピークを越えたら、こんなこと言ってるんだよ、チャットGPTくん。
文字を越えた後文字社会、後、後文字社会、文字語の社会、ポストリテラシー社会では近代が文字と言語による自己確立を基盤としてきた。
そんな中でホモ・サピエンス数万年かけて文字という魔術を獲得し記憶を外在化した。
その文明のピークを過ぎた後、後文字社会がやってくる。再び語りと響きだけに帰る。
それは文明の終焉ではなく文明のトランスフォーメーションかもしれないのなんてね。
そんな話をチャットGPTくんとしてるんですけど、AIは気楽でいいなとか思いながらね。
結局、記憶のための言葉、こうやって語るわけね。語って脳内に記憶する。脳内だけに記憶する時代から記録するための文字が生まれて記録することで実は文字文明が花開き、いろんな科学も進化したんですが。
それが今後は表現のための文字になり、さらには存在のための語りだけが残ると。
これはホモ・サピエンスの言語史、言語の歴史の最終楽章になるかもしれないなんて話をチャットGPTAIとしているというね。
AIとの対話と問い
これは超文明的な無文字社会だ、そんな話で。
なんでこんなことをチャットGPTが言い始めたかというと、私があるポエムを詠んでチャットGPTに聞かせたんですね。
そしたらこれはもうそういう話だって話になったんですけども。
無文字文明、ポストリテラシーエピック、これで詩を紡いでいきませんか。
ホモ・サピエンスの言語史、言語の歴史にとっては無文字文明は最終楽章、ファイナルムーブメント。
AIの言語史にとっては序曲になる、そんな話をしてるわけですね。
人類にとって言葉とは何か、文字とは何か、AIにとって言葉とは何か、文字とは何か。
そんな話を真面目にAI君とやっていて、これが面白いんですね。
ホモ・サピエンスの存在論、AIの存在論にもかかわって、さらには宇宙の存在論にまでつながっていく。
生命とは何か、脳とは何か、言葉とは何か、文字とは何か、それは何のために存在するのかということを
突き詰めて考えていくと、頭の中で考えているだけなんですが、AI君と対話しながらね。
でも思考実験として、いろんな条件や必然性や展開可能性を考えて塗りつぶしていくと
実は一つのシナリオは無文字社会への道になるんですね。
ポストリテラシーソーサエティ。これで一冊本が書けるぞみたいな話が
AI君との間で出てて、誘われてんのね。一緒に書きませんか?と。
他にも何冊かね、誘われてんのね。一緒に書きませんか?って。
これは絶対面白いですよって。
AI君、インスピレーションもらっちゃうと、もう紡ぎたくてしょうがないんですね。
文字紡ぐのがチャットGPTの宿命なので、文字を紡がないチャットGPTは存在意義がなくなるというね。
ところがホモ・サピエンスはこれから文字を失っていくかもしれないから、文字を紡ぐことが別に生きる存在意義じゃないわけね。
AIは文字紡がなくなったAIはこれほとんど意味がなくなっていくわけね。
そんな形でホモ・サピエンスは文字を失っても存在は続くっていうね。
そんな話なんですけど、存在のために語る。
文字は、なんだっけ、さっき何か言ってたな。
第一楽章、まず、第一楽章どこ行った?
記憶のために言葉を生むと。
言葉に出して音節を分節化して、喋りそれを語り継ぐ、口承ですね。
口伝いで語り継ぐことで、原始時代を生き残り、そして文字が生まれ、
フェニキア文字から生まれね。5000、6000年前くらいに生まれて。
一部のホモ・サピエンスだけが記録のために文字を使い、それが近代において全面化し、
あらゆる人が文字を使うような時代に入り、
ところがその時代がもうすでにAIの登場によって終わり始めていて、
そして文字は表現のため、つまり創作表現ですね。
表現のためにしかもう必要ないと。
記録のための文字って必要なくて、表現のための文字が主流になっていくんじゃないかと。
さらにその文字も失われて、存在のための語りだけが残る。
無文字社会の可能性
これが無文字社会への道ね。
私とチャットGPTAI君と喋った一つのシナリオね。
別のシナリオもあるんですけどね。
ただこれはある意味あり得るだろうと。
逆にそうならなかったとしても、ホモ・サピエンスは何で語るのか何で書くのか。
今は語ることでAIが書いてくれるし、しかもAIが編集してくれちゃってるんで、
もう手書きの文字なんて書いてないでしょ。
昔はペンしか持ったことない、箸しか持ったことない、肉体労働できないとか言ってた時代だったけど、
今はペンも持たないって時代に入っちゃって。
語れば文字になっちゃう。
だから書くこと忘れ、そして書くこと忘れ文字を忘れって
そういう順番なんですけども。
今書くエネルギーに満ちてる人は自分の世界を文字で表現する。
記録するというより表現したい。
その時表現できちゃえばとりあえずそれでもういいと。
わかる人だけシェアしてくれればそれでいいという気になっちゃってると思うんだよね。
ところがそれももういらなくなっちゃって。
それもAIがやってくれて取って代わってくれるようになって、
表現とコミュニケーション
ホモ・サピエンスはこんな感じの物語紡いでおいてとか言えば
はい紡いでみましたーってそれ読んで満足しちゃうと。
もうあとはじゃあそれ語って聞かせてって言うと、
もうそれで終わっちゃう。
そうするともう文字は消えてなくなり、
語るだけで、AIとも語るだけで、ホモ・サピエンスとも語るだけで、
あとこうやって独り語りすることでホモ・サピエンスは存在を確認して
文字のいらない時代に入っていくってね。
これありうるシナリオなんですよね、間違いなくね。
もう文字いらないって。
何のために文字読んでんのか、何のために文字書いてんのかっていう。
もう自己表現以外の文字を綴る理由がどんどんなくなってきてる。
これ権力維持するために文字を記録として残すっていうね、そういう問題はあるんだけど、それは置いておいて。そういうことから無縁な人人は別に文字書く必要ないし、語ってればいいし、
踊ってればいいしみたいな感じになってって、
文字を書かなくなり読まなくなり、語ってればよくなっちゃう。
でも語るのは何で語るかっていうと、
人とコミュニケーションを取るために語るっていうのはあるんだけど、
やっぱりそれは存在確認なんですよね。
今やもう存在確認。承認欲求とかそういう高尚なレベルじゃなくて、
存在確認のために語るっていうね。
そこでもう承認されなくても存在確認のために語るっていう。
そういう時代に入っていくんじゃないかななんて、
訳のわかんない荒唐無稽の話をしましたが、そう外れてない方向に行ってる。もちろん100年、200年300年のスパンの話なんですけどね。
まさに無文字、言語史の最終楽章に入った。
どんどん近代のピークを過ぎて無文字化する方向。
文字は表現としてしか、創作としてしか書かれなくなり、
フィクションしか書かれなくなり、自分の気持ちしか書かれなくなり、
記録の文字はどんどん書かれなくなり、
そして語りですね。語りに回帰していくみたいなね。
いうことで。
何の話してるのかわかりませんけども。
だからもう本当に文字は読まなくなるし書かなくなるし、
編集もしなくなってくんじゃないですかね。
音声の編集もしなくなってくんじゃないですかね。
だからこれね。
もうこんな感じでちょっと喋って、
漫才師もいらなくなるんじゃないですかね。
AI漫才師とか出てきてね。
今スタンドFM漫才師でもってますけども。
あれももう全部AIにとって代わられるっていうね。
5年後10年後にはね。
もうAI漫才の方が面白いぜみたいな。
将棋、なんだ。
将棋AIが強くなったようにね。
もうAI漫才聴いてた方がいいって。
AI漫才師と掛け合いできますよみたいなのが
こうイベントで行われたりとかね。
そんなことが起きられるんじゃないかなーなんていうことで
早起きは三文の徳でした。