語る実践書く理論|十二|水25
このエピソードでは、早起きの重要性や現代における「書く」という行為の変化について話されています。特に、AIの登場によって、キーボードを使わず音声で文章を生成する時代が強調されています。AIとの共同作業が進化する中で、「語る」ことが「書く」内容を豊かにし、AIと共に作業することの大切さが注目されています。
早起きと書く実践の変化 00:03 AI革命と書く理論 02:14 ワープロ革命からAI革命への移行 04:51 語る実践書く理論 07:51
早起きと書く実践の変化
はい、おはようございます。早起きは三文の徳、毎朝じゃないな、2日に1回、早朝4時15分、良いこの時間に配信する早起きは三文の徳、偶数日の配信ですね。
今日は、水無月6月の12日です。はい、前日の11日の、もうすぐお昼になりますけど、工事がうるさい中、収録してまーす。
今日のタイトル、語る実践、書く理論。語る実践、書く理論。これちょっと昨日のしゃべれるだけしゃべるともうちょっと繋がっちゃうんですけど、
語る実践、書く理論ってことで、実は昔は書くが、書く実践だったんですよね。
文章を書く、日記を書く、論文を書く、エッセイを書く、詩を書く、全部書く実践だったわけね。自分の手を動かさなきゃいけなかった。
昔は手書きね。それがワープロになり、スマホになり、フリック入力になって、ところが今は音声入力の時代に入っちゃったんで、もう書く実践じゃなくなっちゃったんだね。
書く理論なんだね。どうやって書くかっていうね。どうやって書くかが、だから、手を使って書くんじゃなくて口を使って書く時代になっちゃったっていうね。
頭と口を使って書く時代。これまで頭と手を使って書いてて、口は黙ってたのね。書くときはだいたい黙って書くわけね。
喋りながらブツブツ書く人もいたけども、基本黙って書くっていうね。例えば、読書感想文の時間とかね、作文の時間が、小学校とかであると、
喋ってると怒られるわけね。ほらそこ静かにしなさい。黙って書きなさいって。書くときは黙って書く。
それからあと読むときね。図書室では静かにしましょう。皆さん本読んでるんだから喋らないって言ってね。読むときは静かに。
サイレントなのですね。サイレントモードで消音モードで、読んだり書いたりする時代があったんだけど、この時代はもう終わったということなんですね。
これからは喋って書く時代、喋って読む時代に入っちゃったっていうね。あるいは音にして読む時代に入っちゃったっていうね。
だから結局、サイレントモードで書いたり読んだりするというのは、ある一時代の産物だったっていうことなんですよね。
これ考えてみると昔、平安時代とか、また平安時代かと思うけど、万葉集の時代とかっていうのは結局ね、ブツブツ言いながら書いてたはずなんだよね。
書いたものを必ず詠み上げてたはずなんだよね。
それがいつしか日記は静かに書くもの。
黙って書くもの、作文は黙って書くもの。
本は黙って読むものになっちゃったのは、これ本当に、
結局、近代化してからじゃないかな。
産業革命以降じゃないですかね。
それ以前はそんな静かに読んだり書いたりしてなかったと思うんですよね。
多分ね。わいわい言いながら書いたり読んだりしてたと思うんだけど、
その時代にちょっと戻るなと。
ただその時代とちょっと違うのは、AIくんですね。
AIくん。
そこにAIがいるっていうね。ここですね。
だからAIも混ぜながら、
AIも混ぜながら
ホモ・サピエンスとAIで一緒になりながら、
ワイのワイの言いながら語ったり読んだり書いたりする形なんだけど、
ホモ・サピエンスはもう書かない。
書くのはAIってね、
そういう時代に入った。
AI革命と書く理論
問題はどう書くか。
理屈だね理屈。
手を動かして書くんじゃなくて、
そうじゃない形で、書く理論ですね。
書く理論。
この書く理論がね、
これから極めていくといいと思いますね。
どうやって書くか。書く理論ね。
今、例えばさ、
いろんなnote、
noteってアプリケーション
プラットフォームあるでしょ。
ああいうところを見てると、結構流行ってんのが
Obsidianと Cursor連携でとかね、
Notionは卒業したとか、
いや、やっぱりNotionだとかやってるわけね。
あれ結局、まだみんなキーボードで打ってるんだよね。」
まだみんなキーボードで打ってるんだよね。
もうキーボードで打つ時代終わってるってことなんですけども、
基本キーボードで打ってるんでね。
まあいいんだけどね。
多少はキーボードで打つんですけど、
キーボードで打つのはエディットのとこだけなんだよね。
書くところでキーボードで打ってる人、でも多いんだよね。
1からまだキーボードで打って書いてる。
これはもうかつての、
要するに1990年代にワープロ革命があったのね。
手書き時代は原稿用紙に書いて切って貼ってやってたのね。
私ちょっと大学院とか行ってたんだけど、
修士論文っていうのを書くんだけど、
修士論文の提出日の前日の夜はみんなで総動員して手書きをして、
卒業論文とかもそうだよね。
みんなで手書きしてあちこち字が違う。
いろんな人が書いたのを寄せ集めて原稿用紙に、
それで論文が出来上がってたっていう。
これがね、1992年ぐらいかな。
もうちょっと早いか、
1988年ぐらいか。
1988年ぐらいですね。
88年89年がワープロ革命で、
もうとにかく私は修士論文書いた時は、
結局その前の年からワープロ使う人が出てきたね。
その前のその2年前はワープロ使う人1人もいなかったね。
1人だけワープロ使う人がいて、
まだその頃はデスクトップのこんなね、
仰々しい机1台ぐらいのワープロだったんですが、
それがいわゆる卓上ワープロね。
文豪とかねオアシスとか出てたのね。卓上ワープロがね。
これが最初5行しか見えなくて、
10行になって20行になったんだけど、
それが1990年に入る直前ですね。
私はもうワープロをさっさと買って、
ワープロで論文書いたわけですけど。
これがだから、もう手書きはいらない。
もうワープロ革命ね。
この時はだけどキーボードで打たなきゃいけなかったわけ。
それまでは手書きで書いてたから
手書きで書いてるともう1日で書ける量が限界あったわけね。
キーボードだとこれがね手書きよりもいっぱい打てたわけね。
だから間違いなく生産性上がったわけだったよね。
ワードプロセッサーあったらもう切って貼ってしなくていいわけ。
昔はハサミとノリが不可欠だったのね。
原稿用紙とハサミとノリが不可欠だったわけ。
エディット作業には。それがワープロ上でできるようになったっていう。
しかもそれがワープロからパソコンになって、パソコン上で自由自在にできるようになった。
それが今は実はもうキーボードで打たなくても語れば文字になる時代になって、
しかもAIが文字起こしてくれるっていうね。
AI文字起こしなければ、語ったことが書くことにならなかったんだけど、
これだからまだ始まって2年ですよね。
今はだからワープロ革命じゃなくって、AI革命なんですね。間違いなくね。
だからそこで未だに手書きをやってるみたいな人がいるわけ。
つまりキーボードで打ってる人はね、ワープロ革命の時代に手書きをやってた人ってことになるわけね。
今はもうAI革命なので、キーボードで打ってる場合じゃない。
キーボードで、一から文章を書いてる人はワープロ革命の時に手書きにこだわってた人って、
そういう話になっちゃうわけね。アナロジーで考えるとね。
だからそういう意味では、今、書く理論ね。
ワープロ革命からAI革命への移行
ワープロ革命の時代を経験してる人は、どういう風に手書きからワープロに変わってったかね。
やっぱり手書きは捨てられないんだとねいう人もいたわけ。
ワープロだけだとどうもこう、うまく頭が動かんとか言ってた人もいるんだけど、
そんなこと言ってた人も今やもうワープロでやってるわけね。
今度はもうそれに慣れちゃってるから、ワープロでやることに慣れちゃって。語って書くってことに
まだ慣れてないわけね。語って書くってどうもイメージ湧かねえなみたいな。
AIにエディットしてもらうっていう、一緒にエディットするっていう、
どうもイメージ湧かねえなって言ってるんだけど、それはもう間違いなくね、
みんながワープロ使うようになって、今、手書きやってる人がほとんどいなくなったように、
猫も杓子もみんなAI使ってエディットするようになるし、
その文字列は全部語って書くようになるっていうことは、もうこれは近い将来そうなってるわけね。
これは必然的な流れなわけね。
だから問題はそれをいち早くやるっていうね。
ワープロ革命に早く対応した方がいいわけだよね。
AI革命に早く対応した方がいいわけだよね。
それを今やってるわけね。これが面白くてしょうがない。
当時、1980年代末ですね。私ちょうどワープロ革命、
ワープロハマっちゃったわけね。周りほとんど使ってなかったんですけど、まだね。
その後、パソコンも一番早かったんですけど、それはさておき。
ハマっていくわけだよね。これ習性だね。
新しいもの好きなんだね。ミーハーなんだね。結局ね。
それで面白いから、どんどんその可能性を開拓していくわけね。
こうやってやればいい。一太郎は嫌いだ、オアシスは嫌いだとか言うのが、
パソコン入れてからは、どのアプリ入れるかって言って、見つけたのがezエディター。
もうエディターだ。文章書くならエディターだ。
ワープロ、Wordなんて使ってられるかとか言いながらやってたわけですけど、
今それが結局ね、Obsidianだ Cursorだってみんな騒いでるんだけど、
それもね、ちょっと見てるとね、まあまあいいや。
それこそ文豪か書院かオアシスかなんてやってるようなもんで、
なんかね、まあ何ていうのか、分かる人には分かるけども、
ワープロの機種を選んでるだけの話で、問題はそれを使って何をやるかだってことなんですけどね。
語る実践書く理論ということで、
そういう人たちはまだ語ってないわけね。結局、サイレントモードで、
サイレントモードで、実は、書いてる読んでるわけね。
語りモードで書いたり読んだりしてないという感じがどうもするんだよね。
これもだからやっぱ語る実践が入ってない。間違いなくね。
なんか一人で語るってことはできないんだろうね。結局ね。
だから黙ってワープロに向かってキーボードで書いて、
書いたやつとかあるいは人の書いたやつを持ってきて、それをAIと一緒に編集してんだけど、
これ語っちゃったほうが早いんだよね。語っちゃったほうが。
そのほうが絶対、情報量も豊富になるし、語っちゃったほうが面白い。絶対ね。
書いてるうちは出てこないものが語ると出てくるんだよね。
だから語る実践はどんどんやったほうがいい。
語ったものは全部文字にしちゃったほうがいい。
その上でそれをAIに食わせて一緒に考える。
書く理論ね。そうやってエディットして書く。
AIと一緒にエディットしながら書く。その素材は語った文字列である。
これが私の今思ってる語る実践書く理論ということで、
ワープロで書いちゃダメ。キーボードで書いちゃダメ。
ダメってことはないけどね、フリック入力やってるようじゃダメ。
サイレントモードで黙って文字列打ってるようじゃダメ。
そんな話なんだけどね。何の話かよくわかりませんね。
語る実践書く理論。
昨日話したしゃべれるだけしゃべるも、結局そういうことなんだよね。
語るホモ・サピエンス綴るAI
協働エディター兼プロモーターな話
っていうのはそんな話なんだけどね。
今これがハマっちゃってて面白くてしょうがない。
何やってるかっていうのはここではあまりしゃべりませんけども、
もうAIとの付き合い方ね。結局。あるいは文章の書き方ね。
ちょうど手書きからワープロ革命に変わったように、今AI革命で
語って書く革命が起きちゃってるっていうね。
語る実践書く理論
そんなことですね。ということで和風で終わりたいと思います。
工事がうるさかったですね。今日もね。何の話してるかわかりませんね。