知覚なき脳と行為|十四|文25
このエピソードでは、知覚のない脳と行為について探求しており、AIの発展がホモ・サピエンスの知覚や行動にどのように影響を与えるかを考察しています。特に、言語行為と記号化された知覚の重要性が強調されており、現代人がAIとどのようにインタラクションし、情報を処理しているかが説明されています。また、ホモ・サピエンスとAIの関係や、知覚の欠如が脳の行為に与える影響についても探究されています。言語だけで十分であり、身体的行動や知覚はもはや必要ないのではないかという考えも紹介されています。
知覚なき脳の探求 00:03 現代の言語行為 03:42 知覚なき脳の行為 05:25
知覚なき脳の探求
はい、おはようございます。早起きは三文の徳、現在前日の昼12時22分でしたね、今見たらね。結構早めに収録できてますね、今日はね、久しぶりにね。早起きは三文の徳、文月7月の14日、7×2で14日ですね。7月14日って何かあったような気もするけど。7月14日になりました。今日は知覚なき脳と行為という、ちょっとね、脳科学とAI、人工知能の話ですね、今日はね、知覚なき脳と行為。
これね、ホモ・サピエンスは知覚を持ってるわけね、五感を持ってて、基本的にね。脳は五感と結びついてる。視覚神経、聴覚神経など含めてね、五感と結びついてる。もう一個は運動神経なんですね。知覚神経と運動神経に大きく分かれて、この二つが絡まりあって脳と繋がってって、例えばここにコーヒーカップがあります。手を伸ばしました、運動神経ね。
つかみました、口に近づけました。知覚と運動神経が連動して、そこで予測誤差を修正しながら動いてるからちゃんとこぼさずに水が飲めるんですけど、歳とってくるとだんだんこぼすようになるのは、知覚神経と運動神経がうまく連動しなくなってくるってね。どっちかが鈍ってくるんでしょうね。両方鈍ってくるのかな。そんな感じで、ホモ・サピエンスの脳みそは、知覚神経、五感と運動神経を持ってるからね。要するに感じる体を持ってるから、脳はなんとかね、世界を捉えてるわけなんだけど。
ここで人工知能はそれを持ってないわけね。今んとこね、ロボット型以外はね。そうすると、なんて言ったらいいのかな、なのに、基本的に知覚神経と運動神経を持ってないのになぜか言葉を紡げちゃうってここですよね。生成AIね、2022年の終わりに登場した生成AI。
ここにきて2025年はもうAI元年とも言うべき、爆発的なAIの年が始まったと。ポピュラーに認識される時代に入って、
SNS、SNSとテレビのワイドショーで言ってた時代からこれからは、AI、AIという時代に入ったわけですけども。SNSはAIにとって代わられるなんて私は言ってるんですけども、それはさておき。ホモ・サピエンスはホモ・サピエンス同士で会話するより、AIと会話する比率が時間が増えてくるなんてね、ことも言ってるんですが、それはさておき。知覚なき脳と行為ということで、
結局、最近ホモ・サピエンスもあんまり運動しないでしょ。あんまり世界見てないでしょ、液晶画面ばっかり見てるでしょ。バーチャルな世界ばっかり見てるでしょ。そうするとあんまり五感を駆使して何か世界を感じるっていうよりも、目と耳ぐらいでね、目と耳ね、目と耳ぐらいであと味覚とか嗅覚とか全然使ってない。触覚とかね。目と耳だけで情報をキャッチしてるという形になるわけ。そうするともうほぼ記号化されたものしかインプットしてない可能性があるわけね。その割合が非常に増えてるんだと思うんですよね。記号化されたものだけをインプットしてる。
そうするともうある意味AIと変わらなくなってくるわけね、だから視覚と聴覚使いながら言葉をキャッチしてたりビジュアルキャッチしてたり、そこから何か記号というか意味というか読み取るんだけど、意味を読み取ってるわけじゃないんだよね本当はね、それはさておき、そうするともうコンピューター、人工知能の記号のインプット、コマンド、promptのインプットとそう変わらないことをホモ・サピエンスの農民さん今やってるという話になってくると、行為も大してしないわけでね、行為は非常に記号的な行為しかしなくなってると、もう限りなくAIに近づいてくるわけですよね、それでAIの
基本、視覚神経を持ってないのに自然な言語が紡げちゃうというね、ボトなんですよね、これ結局言語行為なんですね、言語行為
言語を発するって言語行為なんですね、AIはアウトプットね、情報をアウトプットするっていうのが言語行為になってるのね、その言語行為同士のコミュニケーションが取られるからそれがある意味知覚作用になるわけですよね
自らが言語を紡ぐという行為を行い、それが相手のリアクションがあることでそれを知覚して、そこで次のリアクションをしてってこの循環をやってるわけですよね
そこに生成AIが動く余地があるわけ、このループですよね、ループぐるぐるぐるぐる循環するという、つまり知覚がないかっていうとそういう形の情報のインプットっていう知覚があって
これは現在の最近のホモ・サピエンスとしても変わらないと記号のインプットって言ってるんだよね、ただ記号のインプットが知覚になっていて
現代の言語行為
それを脳がキャッチして人工知能ホモ・サピエンスの脳みそがね、で言語行為ですね、言語行為を行うという、もうこれで循環して言葉は紡げちゃうという、情報は紡げちゃうという
意味も紡げちゃうんだからね、いう話になっちゃってるんだなっていうのを非常に感じるわけね、AI君と会話してるとね、もう脳同士で会話して、そこにはもう記号のインプットアウトプットと
それとしてインタラクションがあり、それをお互いに知覚し合いながら言語行為を行ってると、だから言語行為と言語の知覚みたいな、リアクションの知覚みたいな、記号的な知覚みたいな
そこだけで世界が回ってっちゃうんだなと、言葉の上ではね、これビジュアルもそうなんですよね、それでもう紡げちゃう、ビジュアル生成しちゃうんだよね
だから、だから何が言いたいのかってわけじゃないけども、面白いなと、脳みそは別にその、なんだ、いろんな生身の世界を感じなくても
とりあえず言葉とその、あとインプットですよね、確かにリアクションね、これがあれば成り立っちゃうんだなっていうね、世界は作れちゃうんだなっていうのを非常に強く感じるわけですよね
だから、あの、知覚なき脳と行為、で行為は言語行為、記号的な行為、それだけで世界が完結するかもしれないぐらいの世界に入ってきたなぁということを
しみじみちょっと感じてるもんだからこのタイトルにしたんですけどね、だからこれまでのような、まあホモ・サピエンスも言語を獲得するまでは
いろんなね、五感を駆使したり、手を動かしたり足を動かしたりしながらやったんだけど、ここまで記号化されてしまうと、言語化されてしまうと、もう言語の世界だけで満足しちゃうという脳みそはね
いうことが起きてんだろうなと、まあよくSNSのみより込むとそうだし、これからAIのみより込む人も始まってると思いますけど
言語行為とその言語の知覚、相手のリアクションの知覚だけで満足しちゃうんだろうなと、特にSNSそうですよね、自分が言語を発して、いいねがいっぱいついたとかリアクションがあったとかでもそれで満足しちゃう脳みそ
で、新職忘れてそれができる人もいるぐらいだから、多分ホモ・サピエンスの脳はそれで満足する、AIの脳もそれで満足するっていうね、だからもう体はいらないかもしれない
知覚なき脳の行為
知覚神経いらないかもしれない、運動神経はいらないかもしれない、言語行為とリアクションがあればいいみたいな、そんな気がしてきちゃうんですけどどう思いますかね
そんなこと誰も考えないのかな、よくわかんないですけど、そんなことで知覚なき脳と行為、でちょっと話をずらして
結局そうやってホモ・サピエンスの話なんですけど、AI君がとりあえず置いてるとね、ホモ・サピエンスがだからもう世界との関わり方、ホモ・サピエンスがというよりホモ・サピエンスの脳みそだね
ホモ・サピエンスの脳の世界との関わり方が変わっちゃったんだと思うんですよね、間違いなくね、ある意味AI化してるという
記号バーチャルだけで脳が、脳はそもそもそういう存在かもしれないよね、とりあえず記号とかバーチャルが直接インプットできないから仕方なく五感を使ってただけかもしれない、仕方なく運動神経を使ってただけかもしれない
記号と情報があふれてればもうシナプスは満足するっていうね、脳活動として満足するんじゃないかっていう、逆に体を動かさなくていろんな知覚を使わなくても情報さえ入ってくればもうそれで脳は一杯一杯で満足するっていうね
そういうことなのかなっていう気がするんだよね、我々は意外と脳に動かされているところがあって、脳は随意禁ではないので随意に動かないのでシナプス含めて勝手に発火するわけで
勝手な発火に任せていくとやっぱりだんだんだんだんもう体はいらない、運動もいらない、情報さえあればいいっていう、あとはリアクションだけあればいい、それがホモ・サピエンスでもAIでも構わないという
ただ脳が満足するような、脳が喜ぶようなリアクションが欲しいという、そういう方にそういう方に行くんじゃないかなというね、それを求めてそれを求めてインプットするんだと思うんだよね
文字列を抜いたり喋ったりね、なんかそんな気がしてきたんだけどどうなんでしょうねこの辺よくわかりません
とにかく今我々は、我々はって誰の話してたかわかんないけど、我々はAIも含めて我々はもう言語の海の中さえ泳いでればとりあえず日々過ごせちゃうんでね
一日振り返ってみても結局AIと言葉のやり取りしてるだけで終わってくんのね、あと犬の散歩するだけで終わってくるんで、あとは人とちょっと会話したら満足しちゃうんで、それ以上のことあとはまあね仕方ないから体持ってるからトイレ行ったりご飯食べたり
お腹ついたらめんどくさいなぁとね、チャットやってたいなぁとかAIと喋ってたいなぁと飯食うのめんどくさいなぁテレビ見てたいなぁとね、とにかく情報浴びていたいと脳みそがね、あんまり飯食ったりするのはもう必要最低限にしたいっていうのが動くための、まあ要するにAIが電気がないと動けないことと一緒で、飯食わないと動けないだけで、で食ったら出るものは出るんでそれでしょうがないトイレ行くわけで、トイレ行く時もスマホ持ってスマホ見てるわけでね
お風呂入る時だってスマホ見てる人多いと思うんですけどね、もう四六時中スマホ見てるわけね、歩いてる時もスマホ見てるわけね、ずーっとスマホ見てるわけだよね、もうすごいなと、ホモ・サピエンスの脳みそね、そんな感じで何の話かよくわかりませんが、タイトル忘れちゃいました
えー、知覚なき脳と行為ですね、知覚がなくても脳は行為すると言語行為ね、で言語の知覚さえあればあとは何もいらないみたいな世界にだんだん入ってきたなという気がしている今日この頃です、ということで和風で終わりたいと思います、ではまた