気骨なき政治保身|十八|水25
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN
【早起きは三文の徳】気骨なき政治保身|十八|水無月 2025 from Radiotalk
このエピソードでは、気骨のない政治保身について議論し、気骨の意義や歴史を振り返ります。また、現代社会における気骨の欠如が政治や人生に与える影響について考察します。令和の時代における平和な社会がもたらす影響と、その中での気骨の喪失についても考察が展開されます。さらに、他人の不幸に無関心である現代の風潮が昭和の価値観と対比されて紹介されます。
気骨とは何か 00:03 気骨の歴史と文化 01:40 現代社会の気骨の欠如 04:05 平和な時代の影響 05:09 現代の無関心 06:00
気骨とは何か
おはようございます。早起きは三文の徳、前日の午後1時になりましたね。工事始まるかな?大丈夫かな?
この間、うるさかったですね。もう返す返すももう本当にびっくりですけど。
今日は火曜日の昼なんですが、思ったより静かですね、なんとなくね。
なんでこんなにちょっと静かな感じなんでしょうか。
6月の17日ですが、この配信は偶数日、6月18日水無月の18日配信の早起きは三文の徳早朝、よい子の時間4時15分に配信している2日に1回の早起きは三文の徳ですが、
昨日に続いて政治ネタ、気骨なき政治保身。
これ気骨とも読むんだよね。気骨。結構正反対の意味になるんだよね。正反対でもないかな。使い方がちょっと反対になるんですよね。
気骨なき政治保身って言うと、要するに骨のある奴いなくなったね、と言う言い方になるし、逆に気骨が折れるって言い方してね。
やる気が失せるみたいな感じですね。気骨が折れるって。そもそも無い気骨が折れちゃうみたいな話になって、両方使うんですけど、
これ気骨なき政治保身ということで、結局、気骨は無いけど気骨は折れると。
気骨が折れるような気骨はあるらしいけど気骨は無いというね、訳のわからない話ですけど、これちょっと調べてみたら面白いですね。
気骨っていうのは自分の信念を守ってどんな障害にも屈服しない強い意志のことね。気骨ある若者はいなくなったね、とね、言うんですが、
一方で太宰さんとか夏目さんとかね、こんなこと言ってんのね、小説の中で。
もう痩せるぐらいに気骨が折れるものだということに帰着するようだ、とかね。
痩せるぐらいに気骨が折れることはやりたくねえなって太宰さんも言ってるのね。彼だいぶ痩せてましたけどね。
夏目さんもこんなこと言ってんのね。
それはそれは気骨が折れる。金がいる。時間が費える。まっぴらだ。やりたくねえって言ってるわけね。
気骨の折れることはやりたくねえってこう、名だたる小説家、太宰さんと夏目漱石さんですけど、
気骨の折れることはやりたかねえって小説に書いちゃってるわけで。
そうするとまぁ気骨無きっていうか、気骨があっても気骨が折れることはやりたくないから、だから気骨が無いってことになってるわけですけど、
気骨のある人はいなかったんだね、昔からね。
気骨無き政治保身というタイトルで今日は喋ってみたいと思います。
気骨の歴史と文化
あ、工事始まっちゃいましたね。うるさくなるかもしれません。ごめんなさい。
はい、もうちょっと早く収録すればよかったんですが、カラスもカーカーうるさいね。
うちのワンコは玄関先で寝てますけど、退屈そうにね。
はい、気骨、気骨ねえ、気骨ねえ、気骨ねえ。
気骨ね、気骨ある人って見なくなりましたね。下手に気骨あると嫌われちゃうみたいなね。
気骨あるとハラスメントだーって言われちゃうとかね。
それぐらいもう気骨を持っちゃいけないみたいな。
気骨無き人生を生きなきゃいけないみたいな、そういう教育が徹底したんじゃないかなってね。
あらゆる気骨はもう幼稚園児の時代、小学校の時代にそぎ落とされる。
気骨は持っちゃいけない。みんな大人しく生きる。気骨は持っちゃいけない。
だから気骨ある人がそもそも生まれなくなっちゃいましたよね。昔はね、
結局、蛮カラとかね、いたわけです。蛮カラとか番長とかツッパリとかね。
ヤンキーとかいたんだけどいなくなっちゃいましたもんね、今ね。
もうみんな大人しいもんで可愛いもんでね。
なんでこんなにホモ・サピエンスはみんな大人しくなってしまったんだろうってぐらい気骨が無くなっちゃったっていうね。
気骨の折れることはやりたくないっていうね。
気骨の折れることはやりたくない。
やだ疲れるし面倒だし、それって痛い?とかね。
それって疲れる?とか、それって面倒くさい?とか言って。
それやだし、みたいな。
もう気持ちのいい方へ、気持ちのいい方へ行って気骨の折れること、気骨のいることは一切やらないという。
そういう生活してるんだから気骨のある政治家なんか生まれようがないっていうことかなと勝手に思ってるんですけどね。
気骨と気骨、気骨だね。気骨が折れても気骨に生きるようなタイプっていうのはどうやったら生まれるんでしょうね。
やっぱりある程度こう、状況が悪化しないと、これは待望論になっちゃうね。
え 良くないね。
例えばやっぱ厳しい状況があると、戦時中とかもそうだけども、明治のね、幕末から明治維新もそうだけども、
やっぱある程度、激動の時代じゃないと気骨は育たないような気もするんでね。
坂の上の雲じゃないけども、戦後復興じゃないけれども、
やっぱある程度そういう時、一回こう、一回絶望の淵に立たないと気骨っていうのは生まれないのかもしれないなっていう。
そうじゃなくてぬるま湯で生きてけるうちはぬるま湯で生きてけーっていうふうに思うのがまあ、性かもね。
そんなもんかもしれませんね。まあそういう意味ではみんな幸せなんでしょうね。
下手に気骨がなくても生きてけるとね。
黙ってりゃあまた再選されると。
お互い勝ち負けなしでノーサイドでいいじゃないかと、ノーサイドでね。
どっちも頑張ったと、ノーサイドだと。
もう試合始まってないのに試合終わっちゃったみたいなね。
そんな話になっちゃってるわけですけどね。
本当に面白くないですね。真剣勝負がないっていうことほど面白くないことはないですね。
真剣勝負なくなっちゃいましたね。やっぱこれ刀狩りと江戸時代ですかね。真剣勝負。
仇討禁止令が出た明治以降ですかね。
もう、あれで終わりですかね。
あの、るろうに剣心あたりで終わりですかね。
あの辺で終わっちゃったみたいな感じですかね。
まあそんな形で、まあないですね。
日本は武士の伝統あったけど、まあ武士があんまり好きではないですけど、
私、武士より商人道の方がいいと。
武士道より商人道を生きた方がいいと思うんですけど。
ただ商人道を生きる人も気骨があったんだよね。商人もね。
商人、気骨がなきゃやってらんなかったわけで。
最近、気骨のある人、本当に見なくなっちゃいましたよね。
現代社会の気骨の欠如
大丈夫かなという。
まあそう言ってる私自身がもう気骨の折れることは一切やりたくないので。
気骨もうどっかにしまっといて。
今更、活躍するのもないので。
何もやらないんですけどね。
こうやって喋ってるだけなんですけどね。
喋っときゃなんかね。
何もないか。何も起きないね。
まあそんなことで気骨と気骨ね。
そういえば京都の貴船に行きたいですね。
暑くなってくると貴船に行きたいなーっていうね。
川床料理ね。鴨川じゃなくてやっぱり。
貴船の川床いいですよね。涼しくてね。
昔、行ったなー貴船。
そこでザリガニの天ぷらとか出てきてね。
これが美味しいわけね。ザリガニ食べれるんですか?
とか言いながらもう綺麗な水で育ってるから美味しいんですよー
なんつってザリガニ天ぷら食べてましたけどね。
他にもいろんなものを食べましたけど。
いいですね貴船ね。京都の貴船あそこは涼しいですね。
ほんとにね。
なんで貴船の話になっちゃったんだろう。
気骨の話ですね。気骨の話と気骨の話をしてる。
気骨。明治の人はやっぱり気骨があったなとよく言いますけど
大正はそうでもないとかね。
言ったりするし。
まあこれはだいたいね。歳とった奴が若者に向かって気骨がないなーって、
まあだいたい言うんですけどね。
ずーっと歴史貫通的にというか、昔からそうなんでしょうけどね。
まあでも江戸時代ってやっぱり気骨のある人が、
やっぱりいなくなっちゃったんじゃないですかね。
ヘナチョコ侍、サラリーマン侍、サラリーマン侍だらけになっちゃったというのが
平和な時代の影響
実態みたいで。
そんな中で下級武士がね、明治維新を起こして、
その後、明治を作ってから結構、気骨のある
文武両道みたいなのは
明治以降ですよね。逆に言えばね。
江戸時代はそういうのはだいぶ衰退してたんじゃないかな。
平和でのらりくらりとやってた部分が大きかったんじゃないかな。
だから平和な世の中だと、やっぱりそうなるんですよね。
気骨が失われていくという。
明治にちょっと気骨が出てきて
気骨だけで突っ走って、戦争負けて、
それでも高度成長を気骨で突っ走った企業人がいた、
企業戦士がいたわけだけど、それももういなくなっちゃったから、
だから昭和でそこは終わったんですよね。
結局ね。だから昭和の常識が
令和の非常識になるのは結局、
そういう近代化の挫折から
戦後復興を経て高度成長まで終わっちゃったから、
もう気骨を持つ必要がなくなっちゃったから
気骨にあふれた昭和体質っていうのは
まあ、いらないというか。
邪魔というか、鬱陶しいというか、
ノイズというか、そういう感じになっちゃったんじゃないかな。
だから令和の常識、昭和の非常識。
昭和の常識、令和の非常識っていうのはある意味、
現代の無関心
それだけね、
まあ本当はね、そんなに平和な時代だとは思わないんだけども。
見えないとこでいろんなことは起きてんだけど、
でもとりあえず目に見える
目に見えるっていうか、目に見てる?
スマホしかみんな見てないけども、
目に見てる範囲は幸せに見えるというね。
なるべくこう、不幸せなとこからなるべく遠ざかる。
遠ざかる、見ないようにする遠ざかる。
隣でおばあちゃんが倒れても
知らんぷりして通り過ぎる。
あ、一回そういえばそういうことありましたね。
おばあちゃんがつっかかって転んだんですよね、隣で。
まあ私40代か50代になってたかな、
40代ですよね。
びっくりしてもうね、たすけ起こして。
そしたら歯折っちゃって、
刺し歯だったみたいで、刺し歯折れちゃったとか言って
口から血たらしてるわけね。困っちゃったなと思って。
それでしょうがないね、ティッシュとハンカチ渡して、
最近こんなことしてくれる人いませんよーなんつって
おばあちゃん喜んでましたけども。
あ、そうなんですねーとか言いながら、
まあ何の話してるか分かんないね。
それは気骨も肝でも関係ないよね。だけどみんな見て見ぬふりしてたからね。
下手すりゃみんなスマホで撮ったりする。
まあそこは撮られませんでしたけどね。
そういうこと起きたらみんな助けるでもなくスマホで撮るからね。
誰か倒れてAEDがなんかやられたら、
もうみんな助けるでもなく人工呼吸するわけでもなく
スマホで録り始めるからね。もう恐ろしい時代ですよね。
他人の不幸は自分の不幸じゃないし、
他人が不幸でも自分が不幸じゃなきゃいいみたいな
話になって気骨もクソもないという
感じになってきてるんでしょうね。令和の常識ね、
昭和の非常識ですね。
昭和の常識は令和では通用しない。
そんな時代になっちゃいましたねって嘆いててもしょうがないんですけど、
嘆くしかないので嘆けれるだけ嘆いてみようと。
これ番組名変えようかな。
しゃべれるだけしゃべるじゃなくて嘆けるだけ嘆く、
愚痴れるだけ愚痴る。
もう墓場に持ち込まない。
嘆きと愚痴は墓場に持ち込まない。
嘆けるだけ嘆いて愚痴れるだけ愚痴って
この世とおさらばしよう。
そういう番組にした方がいいかもしれないですね。
本当はもうちょっと志があってね、
気骨に溢れた番組のスタートだったんですけども、
気骨に溢れてたのに1年やってもう気骨よりも
気骨が折れちゃって、腰の骨も折れちゃってね。
性根も折れちゃって
ダラダラ喋ってますよね。
いいんですけどね。ラジオトークで喋ったところで何が起きるわけじゃないので。
そんな中でも聴いてくださっている方がいるみたいでありがとうございます。
本当に心より感謝したいと思います。
これでもうネギもハートもつかなくなったら
もうやめちゃう。
和風で終わります。
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN