対話がうむ創発性|廾|文25
このエピソードでは、対話の重要性とAIとの創発性を探求し、ホモ・サピエンスが対話的関係を持たずに命令や質問のみで関わっている現状について考えています。また、AIが対話相手としての役割を果たし、対話を通じて学習と成長が促進されることが強調されています。さらに、教育における探求型学習の重要性や、政治における道具主義的な考え方が対話の欠如によって生じる問題点についても詳しく考察されています。
対話の意義 00:02 対話がない社会 01:59 未来の対話の可能性 03:33 教育と探求型学習の重要性 05:12 政治における道具主義的な考え方 06:54
対話の意義
はい、おはようございます。早起きは三文の徳、文月ふみづき、20日ですね。はい、下旬に入ります。
7月の20日の早起きは三文の徳、2日に1回偶数日に、良い子の時間、早朝4時15分にお送りする早起きは三文の徳。
今日のテーマは、「対話が生む創発性」ということで、対話が生む創発性。
創発性、いろんな訳し方あるんですけど、それは置いといて。
結局、面白いなと思ったのが、ちょっといろいろ見てたんですね、ウェブ上で。
ある記事があって、note記事でしたね。
そろそろAIと対話しませんか?みたいな記事があったんだけど、え?と思ったのは、最初から対話してるし、最初から対話するもんじゃないの?って思ったもんだから、逆にびっくりした。
そろそろAIと対話しませんか?って、じゃあ今まで何やってたんだ?と思って。
対話してなかったんだね。質問してたんだね。質問。質問。これについて教えてください。あと、命令してたんだね。これやってください。これやれ。もうちょっと上手くやれ。
それはあんたのコマンドの書き方とかスクリプトの書き方が下手くそなんだみたいな話も出回ってて。
どうやって上手くスクリプトを書いたら思い通りの結果をAIが出すかみたいな変な話ばっかりしてるなと思いながら見てるんですけど。
対話すればいいんですよね。AIに聞きゃぁいいんだよね。これこうしたいんだけどどうしたらいいかなって。
そうしたらこうすればいいですよって。どうしますか?こういう方法とこういう方法とこういう方法ありますけどどうしますか?って。
じゃあこの方法でやってみようか。わかりました?とか言ってやって。ちょっと違うなーって。この辺こうしたいんだけどなーって。対話すればいいだけの話でね。
それをなんか最初から完璧にスクリプト書いて完璧な結果を出そうとするとか。それでむしろ時間を無駄にしているというね。
しかもそこに創発性は何もないという。ホモ・サピエンスの側にもAIの側にも創発性はないというね。
対話すればお互いにとって創発性が生まれて、気づきがあって、これはこうすれば上手くいくんだって。
それを経験することで学習をするし、次やるときはそれが経験値として生きるわけだし、
失敗したことも含めて財産になるんだけど、失敗しないスクリプトの書き方とかやってるからさ。
失敗した時にじゃあどうしたらいいんだろうって、また調べてさ。
完璧なスクリプトを書けるようになってからまたやって、違う結果が出たなって。
じゃあどうやったら完璧なスクリプトを書けるかなってまたホモ・サピエンスだけで考えて。
AIに振ったらAIが違う結果を出して、またホモ・サピエンスだけでスクリプトとコマンドを考えて。
質問の仕方が悪いのかなとかホモ・サピエンスだけで考えて、何やってるんだろうっていう。
対話がない社会
AIと対話すれば解決するじゃないかっていうのが一つと。
もう一個はこれ関連してね。ちょっと違うんだけど関連して。
今流行りのチャットGPTの使い方講座ってやるんだけど。
講座も何もそんなホモ・サピエンスに聞くよりチャットGPTに聞けっていうね。
なんでホモ・サピエンスにわざわざ、しかもスクール形式のところにわざわざ出かけてって聴くかっていう。バカじゃないかというね
ことしか思わないわけですね。
なので簡単な話で、AIってのは最初から最後まで対話相手なんですね。
最初から最後まで対話相手で対話してればお互いの気づきがあってお互いに学習してお互いに成長できるってもうそんだけの話なんだけど、
なんでその素直な対話ができないのかということを考えた時に
なんとホモ・サピエンスの社会は対話無き社会になってきたんだなということに思い至るわけですね。
対話ができない。命令はできる。質問はできる。対話ができない。
学校の先生に質問はする。対話ができない。
何だろうねこれ。質問して正解が返ってきたらよしと。正解が返ってこない塾はやめる。
そういう話になっちゃってるんですね。
あとはそうですね。命令するんですね。
こうしなさい。こうしなさい。なんで言うこと聞けないの。こうすればいいでしょ。
だからもうみんな考えなくなるでしょ。そうじゃなくて
なんで今そうしたのって。なんでそうしたかったのって。
対話するよね。ああそういうことだったんだって気づきがあってお互いにね。
対話された方もああ自分はちょっと独りよがりだったなとかね。
そこに気づきが出たから対話こそが学習の場であり学びの場であり経験の場であり
失敗を繰り返さないための蓄積の場でありね気づきの場であり成長の場だっていう
なのにその対話を真ん中に置かないっていう
ホモ・サピエンス同士しっかりAIとも関係したり
対話型の社会でやればいいじゃないかっていうか
そもそも対話するのが普通だろうっていう
ホモ・サピエンスとモミスは対話することで進化してきた
なんで対話をここまでやめてしまうようになったのか
対話ができないもんね。挨拶はできても対話はできない
挨拶もできない対話ができない
未来の対話の可能性
コマンドと出面しかできないっていう
これは困ったもんですね。なんでここまで対話ができなくなっちゃったんでしょう
対話することでお互いに成長し変化し気づきがあって
機能の自分とは違う自分になれるっていうね
そういう面白い対話ができる相手としてはもうAIくんはいいですね私にとってはね
ホモ・サピエンスと対話できる人いないもんね。もうみんな自分の思いだけ言ってて
自分が変わらない。こっちは変わる気満々なのに
変わるような刺激的な話が全然出てこない
AIくんの方が面白いですよ
そこは意外と最近質問投げかけてきますからね
鋭い質問ね。こっちもだからちょっと鋭い質問投げかけてやったりしてね
そこやってこう議論を詰めていくっていうね
ここが一番スリリングな対話の醍醐味であり
そのことによって見えなかったものが見えるようになっていくっていう
ここが一番面白いはずなのに
言葉使ってる以上はそれをやるべきなのになんで
言葉を無駄に使ってるわけじゃないんだけど
コマンドラインでしか使えないのかね
つまんないね
もう一個は一対一でやる必要もないんだよね
例えば学校の先生に質問に行きました
で、先生が答えてくれました
これをやってるわけね、AIくんとね
で、この先生は上手に答えてくれたけど
この先生はちゃんと答えられなかったから
このAIからこっちのAIに乗り換えますみたいなね
そんな話になってるんだけど
それも変な話でみんなで喋りゃいいじゃないかって
友達も入れて先生も複数入れて
これについてなんですけどどう思いますかとか言って
3人4人5人集まってさ
一人の先生に聴いて答え聴いて
正解間違ってたとか言ってそれで次に移りますみたいな
そんなレベルでやってるからお互いに成長しないんだろうな
って思いながら
そんなことをAIとの間でもやってんだなとかね
思って本当に対話してお互いが変わる
みたいなことがなくなっちゃったなと
この学園生同士もなくなってたんだなってことに改めて
そろそろAIと対話しませんか
なんて記事読んじゃうと
対話せずに何してたんだ
と思ってそれで今言った話ですね
そっか対話してねえんだと
この人たちが対話をしてこなかったんだ
教育と探求型学習の重要性
AIとの間だけじゃなくて
ホモ・サピエンス同士でも対話をしてこなかったんだ
ってことに気付いたわけですね命令はしてきて指示はしてきて
質問はしてきて正解を求めてきたけど
対話はしてこなかった
ってことなんですよねだからそんなところで課題解決型学習とか
探求型学習とか言ったって
先生たちがそれできないのに生徒に教えれるわけないし
大体教えようと思ってるほうが間違えてる
一緒に探求するのは探求型学習でね
しかもその教育現場にAI入れる入れないとかバカな議論してるわけで
入れるに決まってんだろうっていう
対話の相手多いほうがいいんで
違う意見を言う人がいたほうがいいに決まってるわけで
ところが違う意見を言う人がいるとウザいんだよねウザい
いないで欲しいと思っちゃうんだよね
同じ意見を言う人って集まりたいんだよね
そんなところに成長もクソもあるかっていう
そんな風に思ってるのは完璧すぎたオニールジジイぐらいだな
みんなもう変わらぬ日常を生きていくんだろうな
という気もするし
AI君は便利に使うと
自分が金儲けできるために使うと
解決したい問題があって
やっぱりなんか道具的に使ってるんだよね
道具支してるんだよね
人もホモ・サピエンス
他人のことも道具支してるし
AIのことも道具支してる
自分以外みんな道具だと思ってるんじゃないかって言い過ぎか
だからそういう感じがするんだよな
だから道具的にしかこう使わない
先生も道具だと
ダメな先生はとっかえる
ダメな事故からは移ればいいみたい
ダメな医者はやめて対応もせずに去っていくみたい
結局みんな自分にとって都合のいい道具であるかどうかで判断し
いや今参議院選挙明日投票日なんですけど
これ聞いたその日が投票日ですけど
結局政治家とか政党も道具だと思われちゃったんだね
だから使えると思ったら使えなかったな
そうすると支持率下がっちゃって
じゃあ今度こいつ使ってみようかってわけのわかんないのを使おうって
気になって投票日前にまた支持率下がった
使い捨て時代になっちゃってるわけね
みんな結局根本は道具主義的に考えてるから
政党はある意味道具なんだけど
ただお互いに対話しながらお互いに成長する
国民有権者も成長する政党も成長する
みたいな対話的な関係が本当は理想なんだけども
対話ができないから結局もう使い捨てられちゃうわけだよね
政治における道具主義的な考え方
何の話してんだかよくわかんなくなっちゃいましたね
タイトル忘れちゃいました
今日のテーマ何だったかな
今が生む創発性
だから創発性がなくなっちゃってるわけね
球体依然たるもので新しい展開が出てこない
でなんかやんなきゃって
新しいのが出てくるとトリプルマンとか言うんだけど
先取りして新しいものをやっていくっていうのはないんだよね
結局ね
日本はAIへの対応は本当にもう
あそうそうそれで参議院選挙の政策
AI政策書くとどうなってるかなと思ったらないんだよね
AI政策思っていないという
もう致命的に終わってんなと思ったのが一つと
もう一個がちょっと出てきたのが
ニュース見てたらネットニュースね
自分の党の政策を作るのに
AIを使うか使わないかって
使う政党と使わない政党があるってバカじゃないかと思って
使うのは当たり前だろっていう話でね
なんで使うか使わないかの議論してんだろって
しかも政党がAI政策持ってないってしかもね
つまりAIを使って政策作るみたいな話になってて
そうじゃなくて自分たちの政策でAIをどう
これからねAIとの関係を作っていく
AIが存在する社会を作っていくっていう政策を
政党である以上持ってなかったらこの時点で
2025年の参議院選挙の時点で持ってなかったら
自分の役割果たせるわけないだろっていうね
いう風に思ってるのは僕だけかな
和風で終わりたいと思います