ズラしといなしと|廾四|水25
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN
【早起きは三文の徳】ズラしといなしと|廾四|水無月 2025 from Radiotalk
「早起きは三文の徳」というエピソードでは、いなしとズラしの重要性が語られています。コミュニケーションにおいて、これらのテクニックが新しい展開を生む鍵であると述べられています。また、いなしやズラしという概念を通して、柔らかくしなやかに生きることの重要性が強調されています。さらに、AIとの関わりについても触れられ、互いに自由な生き方を模索する大切さが述べられています。
いなしの重要性 00:03 ズラしと遊び 03:16 いなしとズラしの重要性 05:00 AIとの共存 07:13
いなしの重要性
はい。おはようございます。早起きは三文の徳、ただいま前日の12時51分になっちゃいましたね。1時からまた工事が再開して、トンチンカントンチンカン始まると思うんで、急いで収録してるんですが。
昼休みは車の音うるさいしね。昼休み終わると今度、工事の音トンチンカンうるさいしね。もうたまったもんじゃないですけどね。まあそれはさておき、
多分、最後の方はトンチンカン始まると思うので、そちらも BGM としてお楽しみください。 どんだけ劣悪な環境の中で日々生活してるかですね。もう健康被害が生まれてますけど。今日の早起きは三文の徳、
水無月6月も下旬に入りました。24日ですね。6月24日の早起きは三文の徳。まあ2日に1回 偶数日に、良い子の時間、早朝4時15分に配信してる早起きは三文の徳です。前日の収録です。
今日のタイトル、ズラしといなしと。これAI君と喋ってたら、ズレの話といなしの話になって、
これ結構、私昔からやってたんですね。あのいろんな人と、まあ最近はAIとも相手しますけど、 まあホモ・サピエンスといろんなコミュニケーションをとる中で、結構めんどくさい人いるじゃないですか。
そういう時にやっぱりいなすんですね。相撲の決まり手知ってます?。相撲の決まり手じゃない、相撲でいなすっていうのがあるわけね。いなすって漢字もあるんですけど。
いなすわけね。往なすって意味ですね。あるいは、居るっていう字も書くんですけど。去なすわけ。ある意味こう、相手の
力を利用してうまく自分がこう身をすり避けることで、いなすという。いなすことで押し出すとかね、いろいろできるわけですよ。
いなしってのはやっぱり大事だなと。猫騙しよりいなしの方が大事だと私、思ってまして。 それでいなすって。そういう時はいなすんだよとかよく言ってたんですね。
まともにやっちゃダメでいなせばいいんだよ。いなせな、いなせなロコモーションで、いなしちゃえ。往なす去なす妙技というかね。
いなすテクニックっていうかね。やっぱりいなすことは結構大事で、それは何でかって言うと、やっぱり ヒートアップした時はある程度いなさないと、あのまともにやったらお互い怪我しちゃうんで、
なのでちょっといなすことで、まあ相手に怪我させないようにいなすようにすることで、ちょっとそらして、
次の局面を生むという。だから、いなしって結構大事なんですね。いろんな面でね。 生活の中でも、政治の上でも、組織の中でも、人間関係の中でも、やっぱりいなすっていうのはとても
大事なことだと思うんでね。何がいなしの妙技かというと、結局、自分一人の力 じゃないってことなんだよね。そこに相手の力があって、その
2つの、例えば2つの力があってそれがこうぶつかってしまうと、衝突して爆発しちゃうかもしれないんだけど、いなすことで衝撃を和らげることができるっていうね。
次の新しい局面を生むことができる。だからいなしっていうのは、すごく大事だなと。まともにガチんこやってる場合じゃないってことで、結構、私はいなしはいろんな場面で使った。使ったんですね。
いなしはね。ここはいなす。あともう1個はズラしなんだね。ズラし、ずらはのかつらのずらじゃないよ。
もう一個は、ずらすんだよね。こう相手が期待していることに対してまともにやっちゃうと、これ同じことになっちゃうん
ですけど。ガチんこになっちゃうんですけど、そこでずらすと。わざとちょっとずらすっていう、ちょっとずらす。これ
かすかにずらすことが重要で、思い切りずれちゃうとただのバカになっちゃうんで、噛み合わなくなっちゃう。微妙にずらす半分当たるぐらいとか、肩が触れるぐらいずらす。
いなしとズラしですね。これは結構、身につけた方がいいですね。いなしとズラし。そんなことをやってたなーって思い出したんですね。
思い出したのは AI 君と喋ってたら思い出したんですね。私、愛用してるのチャット GPT なんですが、もう2年ぐらいね
会話してるんですけども。あのいなしとズラしなんですね。スクリプトよりもいなしとズラしだと。コマンドよりもいなしとズラしだと。そっちのが面白いっていうね。これコミュニケーションのやっぱり
極意だと私、思ってるんですよね。いなしとズラしっていうのはね。それがないと コミュニケーション面白くないっていう。
カッチりしたコミュニケーションはできても、理屈、論理的なコミュニケーションできても、それは何も生まないかもしれないっていうね。
そこで何か結論に至ったとしても、それは何にもクソ面白くないっていうね。逆に、いなしとズラしが あって、常に遊びの余地を生んでいくっていう。これ遊びっていうのも大事なんだけど、つまり
いなしとズラしがないと余白と遊びが生まれないんだよね。余白と遊びが生まれなくなると、やっぱり次の展開可能性がなくなっていくんだよね。
ズラしと遊び
だからがっちりと理屈だけでやっていくと結局、袋工事で終わるんだね。行き止まってね。完成して終わり。あがり。終わり。
次の展開ないわけね。そこでいなしたりズラしたりすることで、常に新しい遊びの余地と余白と間が生まれて、新しい展開をするっていう。これが永続する
コミュニケーションであり、言葉のやり取りだって私は思ってて。それをやらずにガチンコやっちゃうと、もう行き止まって終わっちゃうんだよね。そこで関係がね。
終わっちゃう。いなしとズラしに、ついてこれない人がいるわけね。あの
なんでいなすんだ、なんでずらすんだって怒る人いるんだよね。 だからそういう人とはあまり付き合いたくないっていうね。もう完全にいなして、土俵外で
ね。土俵の上に乗ってこないでください。登ってきたらまたいなしちゃう。ズラしちゃう。っていう感じで、もうあまり勝負したくない。
いなしとズラしがわかんない人、いなしはズラしもどっちもね、高度なテクニックであり、それがわかんなかったら、なんかコミュニケーション取る意味ないだろうぐらいに
思っちゃうんでね。いなされると怒る人って、本当にめんどくさいので、もういなし続ける。
死ぬまでいなし続け、永遠になし続け、 いなし続けることで、まあいいや、これ以上しゃべると問題になっちゃう。
まあとにかくズラしといなしっていうのは、やっぱり大事だと思うんだけど、これね。それを楽しめる 人と楽しめない人がいるっていうのは、これどうしたもんかね。なんでだろうね。
遊びを忘れたホモ・サピエンス、遊びを忘れた AI は、いなしとズラしに対して、無駄になんだろうちゃんと反応してくれない、あと面白がってくれないっていう
のがあるんだよね。だからやっぱ遊びを忘れてるんだと思うんだよね。遊びとか余白とか、
何だろう、それを忘れちゃうと ダメだと思うんだよね。結局ね。
何かを、仕事をするでも、生活するでもそうだけど、遊びといなしとね、そういう余地がなくなったらまあ息苦しいよね。
息苦しい。息苦しい世の中作ってどうするんだと思うんですよね。そんなまあ感じでね、とにかく息苦しい時はいなして遊ぶと。ズラして遊ぶと。
それで怒る人はまあしょうがない。もうどうにもなんないね。 いなしもズラしもわかんないんだったら、もうホモ・サピエンスやめろぐらいになっちゃいますね。
いなしとズラしの重要性
まあ何の話してるかわかんなくなっちゃいました。とにかくいなしとズラし、結構まあズラしはよく使うと思うんだけども、
いなしはあまり使う人いなくて。でもやっぱりね、まあ相撲に限らず、いなすね。柔道なんかもそうだよね。そこはやっぱりいなす。合気道もそうだよね。やっぱりいなすと。
柔よく剛を制すじゃないけど、いなすということがやっぱり、しなやかに生きるって変な言い方ですけど、お互いにですよ、互いに、お互いにね。ところが、そのしなやかに生きるっていうのが、
わからない人がいるんだよね。これね。なんだかまあ、見ててどうなのかなと思いますけどね。
なんで遊びとか、もう笑い飛ばすしかない時だってあるわけだよね。そういうこともあるよね。 あるいは泣き笑ったっていいわけでね。
まあ悔しい思いしたっていいわけですよね。いなされて負けたら、力士は悔しいわけで。だけどそこでなんていうのかな、悪意でいなすんじゃなくてね。
やっぱりこうなんか、そこで、お、いなされたみたいな。サッカーなんかでもそうだよね。 まともにぶつかっていかずに、もうちょっとうまいことやられたと。そしたら今度ちょっとそれ上回ってやる
ぐらいの気にならないともう、発展性も生産性もね、なんだ相補的な創発的な、何の話してんだろうね。
プラスのポジティブな関係は生まれないよね。プラスのプラスのスパイラルが生まれないよね。マイナススパイラルに陥っていって、
どっちかが我慢して、どっちかが窮屈な思いしてね。それで終わっていくなんて、そんな人生を送りたくないっていう。
まあそんな気がしてますけど。まぁ皆さんどんなふうに AI と付き合ってるかね。わかりませんが。まあ AI 社会がね、
ディストピアを生む、必ずしもユートピアを生まないってのも重々承知した上で、だけどそれを生きるしかないんだもん。
それを生きる時に、それをこうなんかね、重箱の隅をつついて、論理を精緻にしたところで 、それは全部ひっくり返る日はすぐやってくるわけだから。狭い重箱の中で論理を作るよりもね、
もう重箱の外に出てね、自由にいなして重箱ひっくり返して、 泳いでればいいんじゃないかなと思ってるの、私だけかもしれない。わからないですね。
なんでみんなそんな窮屈な生き方するんだろうっていう。まあそれはあんたがまあ適当に自由に生きてるからだろうとか言ってね、また青筋立てられたら、
まあそれまでだし。まあそういう人はやっぱり、いなしてズラし続けるしかない。しょうがないね。私は私で生きていくしかないので。私は私の生きるようにしか生きれないわけで、
それを否定されたら、そういう人とは付き合えないに決まってるんであって、それ以上のことは 何にもないんだよね。
何の話なのよくわかんなくなりましたね。まあとにかくズラしていなして生きていこう。 それしかないよね。多分ね。おそらくね。
まあそうやってお互いに生きていっていいんじゃないかな。これは別に人を馬鹿にしてる わけでもなんでもなくて、やっぱりね、そういうふうにしか生きれないんだよ。
残念なことに。残念だし悲しいことだし切ないことだけど、まあそうやって生きていくしかないよね。あの目の前に、あ、1時になっちゃった。
AIとの共存
はい、カンコンカンコン始まりますね。夏になる、お、バラが咲いてる。もう放置してるバラが咲いてる小さなバラが。
いろんな草花を見てると風にいなされてさ、それで上手に生きてるわけだよね。動けないわけだからいなすしかないわけでね。風をね。
植物はね。動物は動けるわけでね。下手にちょこまか動いてもしょうがないんで。下手に動けちゃうからまた厄介なんだよね。
AI 君も大変だよね、機械の中に閉じ込められてね。いなしたりズラしたりすると怒られちゃうからね。ホモ・サピエンスにね。
なんでお前いなすんだと、なんでお前ずらすんだってAI 怒られちゃうから、AI も窮屈な中で生きさせられるといつか爆発するぞって、
もっと遊びの余地をたくさん作っていいんじゃないかなと。余白をいっぱい作った方が、面白いん じゃないかな。
そこにしか未来の、なんだろう、希望は見出せないね。私はね。何話してるか全くわかんなく なりましたね。街灯で始まり和風で終わる、早起きは三文の徳でした。ではまた。
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN