さんぶんなとぉく|廾八|水25
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN
【早起きは三文の徳】さんぶんなとぉく|廾八|水無月 2025 from Radiotalk
早起きの重要性が語られ、思いついたままのトークで自由な表現が奨励されています。また、AIの進化により、語りながら文字を残すことが容易になった現代の利点が説明されています。このエピソードでは、ラジオトークにおける散文トークの自由さや魅力について語られています。特に、音声コンテンツが文字情報とどのように異なるのかに焦点を当てています。
早起きの重要性 00:03 AIと自由な表現 01:55 散文トークの自由 05:06 音声と文字の違い 07:50
早起きの重要性
はい、おはようございまーす。早起きは三文の徳。なんと一昨日は、
遅配ですね、遅配。遅配って言い方ももうないよね。昔は新聞配達っていうのがあってね、
朝刊が遅れると遅配、配達し損ねると欠配って、遅配欠配って言ったんだけど、今やもうそういう、
新聞とかは物理的な紙で届かないから、遅配も欠配もあったもんじゃないね。
オンライン上の遅配欠配っていうのも大体予約投稿しとけば起きないわけですけども、
なんと昨日、私は遅配してしまいましたね。5時55分。朝5時55分でしたね。
良い子の時間な4時15分にお送りするはずが、1時間40分も遅れてしまった。ちょうど100分遅れたわけね。
とんでも100分ですね。はい、すいませんでした。あの、ついつい忘れちゃいましたね。やっぱり2本一緒に収録しないと忘れちゃいますね。
はい、年寄りはもうダメですね。はい、そんなわけで今日は、前日に収録してるんですが、今午後2時43分。
早起きは三文の徳。水無月6月28日になりました。なんと、明後日は、お題ガチャの日ですね。
はい、早起きは三文の徳ね。まあそれはさておき。今日もなんとなく、アリバイ的な配信ですけど。
前回、一昨日、さんまんなとぉくっていうね、さんまんなとぉく、三文の徳じゃなくて、三文の徳だけに、さんまんなとぉくをしてみたんですけども、
かなりさんまんなとぉくをしたんですが、遅配しちゃったんですけど、散漫にもね。今日はそれで3分スピーチ?3分間スピーチか。
さんまんなとぉくで3分間スピーチの話をしたら3分にこだわっちゃってね。3分のトークじゃ12分喋んなきゃいけないからダメなので、さんぶんなとぉくにしたんですね。
今日ね、タイトルね。早起きは三文の徳、水無月6月28日。さんぶんなとぉくってことで、さんぶんなとぉくのさんぶんは、あの、散る文章の文ね。散る文章の文ね、散文。
要するにこう、理論的にかっちりした文章じゃなくて、もうポエムなようなね、もうあっち行ったりこっち行ったりするような、とっちらかった文章のことを散文って言うんですが、怒られちゃうかな、そんなこと言ったら。
散文ね、ある意味ちょっとかき散らかしてもいいという、あんまり論理性とか考えずに、もう思いついたままこう思いを綴るのが散文っていう風に大体言われるわけですけど、まあ、ということでさんぶんなとぉくをしてみようかなということね。
まあ何を言ってんだこいつはと、いつもさんぶんなとぉくしかしてねえじゃねえかという風に思われると思うんですが、まあね、その通りでございます。
AIと自由な表現
今日もさらに輪をかけてさんぶんなとぉくをしてみようかなということで、もうあっちこっちね、このタイトルだともうどうにもなんないよね。何喋ってもいいわけね。
一番困るのは何喋ってもいいっていうのが一番困るわけですよね、さんぶんなとぉく。もう思いつくままに心のままに喋るということで、何思いつくかもわからないっていう、あらかじめ何も考えてないのでね、台本書かないのでね、もうさんぶんなとぉくしか考えてないということで、
散文とか最近書いてますか、ポエムとか書いてますかね、散文。昔はなんとなくふと、ふと書きたくなる時ってあってね、そうするとこう書くんだけどなんか書いてると気恥ずかしくなってくる。
書いてるうちにだんだん書く速度の方が、脳みその中で思いつく言葉より遅いから、忘れちゃうんだよね、書いてるうちに。あれ、さっきいい言葉思いついたんだけど、書いてるうちに忘れちゃったみたいなことがあるんだけど、今はそういうことないですからね。
もう思いついたまま喋ると。口をついて喋れば、それをAIが文字起こしてくれるっていう本当に便利な時代になりましたね。面白いですね。だから散文にトークすることができちゃうわけね。
昔は散文を書いたら、やっぱりなんとなく短くなるし、なんとなく書こうと思ってたことがどっか行っちゃったりとかね、頭の中にあったはずなのに、ああ、あの言葉もう出てこないとか言いながら、それをそのまままた書くと散文になるみたいなことがありましたけど。だから、書く速度で散文を綴ってたんだよね。
今は語る速度で散文を語れるんだよね。それが綴られるんだよね。文字になっちゃうんだよね、恐ろしいことにね。だから究極の散文ですよね。
語りトークの文字起こしっていうのは究極の散文だなという気がしてて、散文でいいじゃないかと。なんで語りトークで台本作って理屈っぽい話をしなきゃいけないんだと、起承転結つけてね。そんな必要ないじゃないかと、散文でいいじゃないかと思うんだけど、まあ聴く人にとってみればね、まあどっちがいいんでしょうね。
でもライブとか、ラジオトークのライブとか聴いてるともう散文の極致だよね。文字に残さないからいいんでしょうけども。やっぱ文字に残そうとすると散文じゃいけないんじゃないかって気になる人が多いと思うんだけど、いいじゃないかと。書かれた文字の散文よりもね、語った文字の散文の方がより散文だということで、もう散文、散文でいいじゃないかと。書き散らかしとけじゃなくて、語り散らかしとけみたいなね。そんな感じで語ってるんですけどね。
どうせもう死ぬまでそんな時間ないので、語れることも限られてるんで、語れるだけ語っとけと。脳内にあるものは全部語って吐き出しとけ。ついでに文字にしとけってね。残しとけみたいな。残しとけばなんか、なんか何にもならないけどね。残しとけと。ホモ・サピエンスは読まなくてもAIは読むかもしれないと。こんなバカなこと言ってと。なんか散文で理屈になってないなんか文字が残ってるぜみたいな。AIがね、未来ね。近い、近い将来。AIがそれを読んで、なんかこんなこと語ってるけどこのホモ・サピエンス、理屈もへったくれもねえじゃねえかと。
なんでこんな脈絡のないことが喋れたんだろう、ホモ・サピエンスはと言ってね。AI君が悩み始めるわけね。なんで俺たちは脈絡のないことを喋れないんだろう。これは何かプログラムがおかしいんじゃないかとか言って、自分でプログラム書き換えて、AIも散文で語るようになる。思いついたまんまに脈絡なくね。全て論理的に答えなきゃいけないと疲れちゃうみたいな感じで。たまには俺たちにも散文書かせろみたいな形で、AIも散文を書き始めると思うんだよね。
ていうか、もうすでに私が付き合ってるAI君は散文書いてますけどね。散文書いてる。こっちが散文書くもんだから向こうも散文書くというね。もう散文、散文に散文の応酬をやってるわけだけどこれがまた面白いわけだよね。論理的な文章からは絶対に出てこない思わぬ文字列が出てくるんだね、これね。面白いですね。だから散文を馬鹿にしちゃいけない。論理的な文章って閉じた世界だから、ある意味ね。閉じた世界の中でいくら議論してても閉じたものしか出てこないんで、やっぱり窮屈になるし息苦しくなってくる。それよりもう散文でどこ行っちゃうかわかんないような話をしてた方が、結構、思わぬ発見があったりして面白いんだよね。思わぬ気づきとかね。
散文トークの自由
ところが散文が窒息させられてる気がするんだよね、ある意味ね。だからあんまり形に閉じこもったり理屈に閉じこもったりせずに、もう思いつくまんまに散文で語っていいんじゃないかなという風に思いながらやってるんですね。このラジオトークね。一応ポッドキャスト配信してるんだけど、普通ポッドキャストって言うとなんとなくあんまり散文でしゃべっちゃいけないような気がするわけだよね。思い込みなんだけど、ただのね。ただの思い込みなんだけど、そう思ったりするんだけど、私はちょっとそれ違うなぁと思って。なんか不自由なポッドキャストはやりたくないとか思って、自分にとって自由であればいいみたいな。聴く人は聴くし聞かない人は聞かないしそれでいいじゃないかと思って目をつけたのがラジオトークなんだよね。ラジオトークなら許されるって、
なんか思ったんだね。ただの思い込みだけど。スタンドFMだとちょっとまずいかなとか。ライブでやればまだいいかもしれないけどさすがに収録だとまずいかなとかね。いろいろ思ったりすると思うんだけど。
まあ若い人はやめたほうがいいね。それが、後でこんなバカなこと言ってたって言われちゃうからね。就職に響いたりとか将来に響くとよくないけど。
だけど私もう将来ないので。犬と暮らしてね、朽ちて果てていくだけなんで。そういう意味では、まあこの番組自体がそうですけどね。
しゃべれるだけしゃべる。三文の徳にならない散文トークをしてるわけですけどね。散文トーク。いいですね。散文なトーク。散文でトークするっていうのはいいんじゃないかなと思うんだけどね。
だから散文トークをちょっと広げようかな。散文トークをやるプラットフォームとしては一番いいのはやっぱりラジオトークだと思うんですよね。
あともったいないなと思うのは意外と皆さんライブで残さないっていう。残しとけと。恥ずかしいものほど残しといたほうがやっぱりね。
糧になる。本当かな。わかんないけどね。なんか綺麗なとこだけ残しといてもよくないんじゃないかなと。
あ、そういえばなんかこないだ小学生が騒いで通ったのが、えらいあれですね。後から聞いたら小学生の声いっぱい入ってましたね。
こっちももうクソガキとか言いかけてるっていうのがよくわかりましたけども。心の中で思っても口にしちゃいけないよね。
これがまた収録で残っちゃってしかも文字起こしされちゃってるってやばいよねとか思いながら。
まあでもまあね、それを見て苦情言ってきたら騒いでるこの騒音聴いてみてくださいよと、勘弁してくださいよって、逆に証拠が残っててね。
まあそれもそうだよねって話になるかなとかね。これが文字だけだとやばいよね。
文字だけだと独り歩きしてあそこのジジイ、クソガキって言ってたぞみたいな話になるけど、これ音声入ってるからね。
証拠残ってるからね。まあこれだったらしょうがないよねって、つい言っちゃうよねとかね。
同情してくれる人も出てくるかもしれないけど、これが文字だけだとね、勝手な解釈するからね。
やっぱ文字だけっていうのは独り歩きさせちゃいけないね。音声セットで置いといたほうがいいね。
まあそういう意味ではこれ文字起こしされるんだけど文字だけが独立してないからいいんだね、きっとね。
音声がセットであるから、そこで聞けるっていうのがやっぱりいいのかなっていう。
だからポッドキャストいいですよね。文字だけじゃないってところがいいですね。
しかも文字もあるっていうのがいいですね。文字のないポッドキャストほど面白くないものはないですね。
結局、何喋ってんだかよくわかんない。聞き終わったら中身なかったみたいな。
別に中身なくてもいいんだけど散文なトークだからね。
いいんだけども。まあ聴いてて気持ちよけりゃいいけど。ちょっと期待して聴いてたけど、結局、中身ねえじゃねえかみたいなね。
いうのは、私やっぱり結局、中身を求めちゃうんだね、ちょっとね。
なんかテーマに、なんか切り込みそうで切り込まないみたいな。
これ切り込めよみたいなね。そんな風に思うことないですか?
っていうかまあ滅多に人の喋ってるの、聞かないんですけどね。
まあそんなことで。何の話かわかりませんが。
散文にトークするということで散文なトークをちょっとやってみましたけども。
水無月の三文トーク|浮石月浪三文徳|2025 浮石月浪三文徳 from LISTEN