#0171卅 自己存在確認としてのかたりことばとつづりことばと短歌と日記の話
六番桟橋|卅の川のわたし舟
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【しゃべれるだけしゃべる】#0171 自己存在確認としてのかたりことばとつづりことばと短歌と日記の話 from Radiotalk
このエピソードでは、自己存在確認の手段として、語り言葉や綴り言葉、短歌、日記が探求されています。特に短歌と日記の違いや、書く行為の変化について話されています。また、短歌と日記を通じて自己存在確認が探究され、二つの言葉がどのように異なる役割を果たすのかが語られています。プラス、語る言葉と綴る言葉の違いに触れながら、自分自身の表現方法がテーマになっています。(AI summary)
短歌と日記の違い 語り言葉と綴り言葉の変化 短歌と日記の関係
はい、優雅に始まり、呑気に終わる、しゃべれるだけしゃべる、170個目、171個目のエピソードですね。
171個目のエピソード、今日のテーマ、自分存在確認としての語り言葉と綴り言葉と短歌と日記の話ということで、
まあ2つ3つ喋りたいんですけど、1つは短歌と日記の違いという、まあ違うだろうと思われるかもしれないんですけど、平安時代とかそんなに違ってなかったんですよね。
歌を綴るように日記を書いてた部分があるわけでね、それがいつしか別れて、今は別物になっちゃってんだけど。
日記書く人は書くでしょうけど、短歌詠む人は詠むでしょうけど、短歌も日記も書いて詠んでる人もいるでしょうけどね、これってどう違うんだろうっていう。
まあそれは短歌は5-7-5-7-7だろうと、日記はそうじゃないだろうって言われたらそれまでなんですが、そんなにね、あの、そんなに、なんていうのかな、
あの、そんなに距離のあるもんじゃないような気もするんだけど、明確に違いもあるんで、この辺をちょっとね、少し気になってるんで、
前に語ったかなこれね、喋ったかもしれない。それともう1個は語り言葉と綴り言葉ですね。
語る、こうやって喋る言葉とあと書く言葉ね、すっかり手書きしなくなっちゃったと思うんですけど、今、日記書くっっていっても声で日記書いたりとかね。
あるいはもう、なんだ、音声入力で日記書いたりとかね。あるいはキーボードとかフリック入力で日記書いたりとかね。デジタルデバイスに書くという。紙の日記帳をつけてる人ってあんまりいなくなっちゃったと思うんですけどね。
まあこういったこう書くという営みが相当変わっちゃったと。特にAI文字起こしが出てきて音声入力が普通になってきちゃうんで、これからね。
もうみんな手書きで書かなくなっちゃう。フリック入力すら使わなくなっちゃうっていう時に、語り言葉と綴り言葉。これももともと違ったんだけど、
だけど語る言葉を綴ってたんだよね、昔はね。今は語る言葉と綴る言葉ってだいぶ離れちゃったのがこれまた一致していくんじゃないかってね、言文一致ってやつですね。
これ言文一致の歴史も面白いんですよ。昔は言文一致してたのが、最初文字ができた、あの文字をみんな書き始めた頃ね、平安時代とかね。
それがいつしか文語調、文語口語ってのができちゃったんだけど、これを明治大正ですよね、特に大正期に言文一致運動ってのが起きたりしたんですけどね。語り言葉と綴り言葉を一致させようと言いながら一致してこなかった部分もあるんだけども、
この辺りね、SNS時代にどうなっていくのか。AI進化時代にどうなっていくのかとかね、すごい気になるわけね。もう一つは語ったり綴ったり短歌を詠んだり日記書いたりっていうのは、車うるさいね。
何のためにやるのかっていう時に、もう最近たどり着いた境地が、境地ってほどじゃないけど、これはですね、自己存在確認なんですね。日記を書く、人に見せる日記を書く人も最近いるけども、ブログ日記とかね。
これ流行ったんだよね、mixiで流行ったんだよね、ダイアリーがね。はてなダイアリーとかね。はてなブログになりましたが。ダイアリーからブログが始まったっていう。mixiもダイアリーで始まったっていうね。
ダイアリーとコミュニティで成り立てたっていう。その辺から人に見せる日記みたいなのが出てきたんだけども、だんだんそういうのも廃れてきたような気がするんだけど、最近流行ってるのは声日記ね。
これラジオトークで昔、流行ってたみたいだけど、今はほとんど見ないですよね。今は別のサイトで、LISTENっていうサイトで結構、流行ってるんだけど、ラジオトークでの声日記の歴史が知りたい。
検索すると、昔、声日記っていうのをつけてラジオトークで喋ってる人ってちょこちょこいたんだけど、ここ数年、ここ2、3年は見かけないというね。なんでだろうっていうね、これすごい気になるんだよね。あとは自己存在確認ね。これなかなか難しいですね。
そんな話をちょっとつらつらと考えようかなと思いながら。昔ちょっと歌を詠んだんだけどもどっか行っちゃいましたね。これ日記と短歌、歌を詠むっていうのは相当見た目も違うし、違うんだけど、違わなかったのに違うんだっていうね、何の話かよくわかんないですけど。
日記っていうのはやっぱり、自分に向かって書くんだよね、日記って本質的にね。これ面白いこと言って、AIチャットGPTくんね。ここでもAI出てくるんですけど、一度日記と短歌の話をしたんですね。
日記と短歌の違いって何だろうって話を一回したんですよ。これちょっと検索してみようか。日記と短歌の違いって何だろうって一回ね、やったんですよ。そうしたらですね、すごい良い歌を詠んでくれたんですね。これ今度また紹介しますね。今、出しとけばよかったね。どっか行っちゃいました。
これはね、面白いんですよ。日記ってやっぱり自分に向かって書いて自分の輪郭をはっきりさせることができるっていうね。どっちかというと日記って内に向かうのは日記で、短歌ってのは内に向かいながらも外に向かうというね、部分があるっていうね。これわかるかな?わかんないね。これだけじゃね。もうちょっとちゃんとこの話はまた改めてしますね。
最近そのね、私も声日記、声で綴る日記ってのやり始めたんですけど、そのAIが文字起こしてくれるもんだから自分で書かなくていいかなって。自分で手書きでする日記は苦手だったんですね。あんまり得意じゃないっていうかなんか気恥ずかしいし、なんかね、あんま面白くないし。かといってmixiダイアリーとかあんまり好きじゃなくて、なんで自分の日記を晒すんだろうとか思ってたんですよね。ブログで日記書くってこともせずに、むしろブログは別の、なんて言ったらいいかな。まあ出来事というかむしろ外に向けて書いてた部分があるんだよね。自分に向けて内省のために書くっていう日記はあんまり書いてこなかったんですけど、
日記はやっぱり基本的には自分の輪郭を、なんていうのかな、はっきりさせるために書くっていうのがやっぱり一番本来の、本来の日記って変な言い方ですけどね。まあ本来もくそもないんですけどね。
いろんな日記があればいいんですけど。それに対して短歌っていうのは自分の輪郭をはっきりさせるっていうのとちょっと違うんですよね。
ちょっと違う。しかも短歌っていうのは人に響くんですよね。
日記は人に響く日記書こうと思って書いてもいいんだけど、そうするとなんか目的がずれてきちゃうんだよね。本来の日記じゃなくなってくるっていう。
むしろ短歌ってのは人に響くんですよね。言葉が57577に、あまり私はこだわってないんですが、例えば57577という31音、三十一文字に
凝縮された文字列が、ただの文字列なのにいろんな意味を帯びて人に響くんだよね。共感を呼び起こすっていう。そういう部分があって短歌って書くわけね。
自分に響かせる、自分に響く音と言葉を見つけてそれを凝縮された短い文字に歌に詠むことで、単なる自分への呼びかけじゃなくて自分にも響かせながらそれを貫いて
他者に届く世界に届くみたいなところがあるんですよね、短歌ね。だから結構面白いんですね。日記は内に向かっていくのが本来なのに外に向かって書く人もいるんだけど、これはちょっとあんまり日記としては続かないんじゃないかなって実は思ってて、むしろ短歌の方が続くと。
だから短歌日誌、短歌日記ね。短歌日記をやるといいんじゃないかなっていう。もっと言うと人に伝わるような日記をこう書く、書きたい、綴りたい、語りたい場合には、むしろ短歌、歌を詠むように日記を詠むという。よくわかんないね。
だから日記と短歌、組み合わせでもいいんですよね。必ず短歌を入れて日記を綴るとかね。なんかそういうことをやるとだいぶね、いろんなことが繋がっていくんじゃないかなって勝手に思ってるんですよね。もう一個、語る言葉と綴る言葉。ここがまた厄介で、昔は日記は綴ってたし短歌も綴ってたんだけど、今は語っちゃうわけね。日記はね、日記は語って書く時代に入っちゃったっていうのは間違いなくそうだと思うんですよね。
ところが短歌は語って綴らないんですよ。短歌は歌、なんだ、音で詠むんですけど、それこそ心の声を詠むわけだけど、これね、音声入力じゃできないのが短歌なんですね。なぜかこれは文字で入力しないと、文字で書かないと短歌はできない。文字をこう切って、なんだ、順番変えたりとかね、切って貼ったりして文字列を編集するんだよね。日記ってそうでもないんだよね。あの日記書いてる人がずっと書いてこれちょっと編集してワープロで日記で前後入れ替えてとかさ、やらないでしょ。
日記はそのまんま書いたまんま残すじゃないですか、普通ね。だからこれ音声入力にもそぐうわけね。日記っていうのはね、語る言葉で綴れるのが日記。語ること、歌を詠むのが本来短歌なんだけども、音で詠むのが短歌なんだけど、音で綴れないのが短歌っていうね。何の話してるかわかんないと思うけど。これが面白いなと思ってるわけですよね。その短歌と日記ってある意味、両極にあるんだけど、どちらも言葉を綴るっていう点では一緒なんですよね。言葉を綴るっていう点では一緒。
それじゃあ何のためにやるのか。さっき言ったように日記って本来、内省録っていうかね、備忘録っていうかな、自分のために書くっていうのが本来の日記なんだけど。自分の輪郭を明確にするっていうことなんだけども、短歌ってそうでもないというね。自分の輪郭をはっきりさせるために短歌を書くんじゃなくて、むしろ世界の景色に自分を詠み込むみたいなところがあって、そうするとその、なんつったらいいのかな、じゃあそれどっちも日記も短歌も何のためにやってるのかって言ったときに、これ間省略しますが、私が至り着いた結論は自己存在確認。どちらも。
どちらも自己の存在確認だっていう。一つは内に向かう存在確認。もう一つは自分を貫いて自分を一回くぐらせて世界に向かう、外に向かう自己存在確認っていうね、そういう整理をしたんですね。これもうちょっと理屈立てて言ってもいいんですけどね。これすごい気になってて。どっちも同じ文字列なのに綴り方書き方違うよな、特に音声入力時代に入ってね、だいぶ変わってくるよなとか思いながらね。綴り言葉と語る言葉が一致していくにも関わらず、短歌は語り言葉で綴るわけだけども、語って綴るわけじゃない。
日記は語り言葉で綴るわけじゃないんだけども、語って綴る時代に入ったんだよ。よくわかんないね。そんな風に思ってるっていう。なんでもいい話ですね。ということで短歌と日記の間、語る言葉と綴る言葉の間、それは何のためにやってんのかみたいなね。下手に人に伝えようなんて思うとダメだと思ってるんですよね。のんきに終わります。
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