#0167卅 書く文化と語る文化とうつす文化と分化した文化を統合する編輯の話
六番桟橋|卅の川のわたし舟
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【しゃべれるだけしゃべる】#0167 書く文化と語る文化とうつす文化と分化した文化を統合する編輯の話 from Radiotalk
本エピソードでは、文化の進化とその結合について探求している。特に、語る文化やうつす文化がどのように分化し、発展してきたかを解説している。編輯の概念を通じて、書く文化、語る文化、うつす文化の統合がどのように進行しているのかについて語られている。また、AIの役割がこの統合をどのように助けているのかにも触れられている。(AI summary)
文化の進化と分化 うつす文化の発展 文化の統合の意義 編輯と文化の統合 エディットの本質
はい、ちょっと最初、ボリューム絞ってました。はい、「しゃべれるだけしゃべる」167個目かな?
167個目のエピソード、「しゃべれるだけしゃべる」
今日のタイトル、「書く文化と語る文化とうつす文化と分化した文化を統合する編輯の話」って、編輯の字はわざと古い字を使っておきましたけどね。
この字はなかなか味わい深いんですけどね。あの、口と耳が入ってるっていう、車が入ってるっていうね。
これあの、しゃべりませんけど、この輯の字ね。いろんな意味で使うんですけど、編輯っていうね、言葉。英語で言うとエディットですけど。
もう、ホモ・サピエンスの脳みそはエディットするのが本質だっていう風に私は最近よく言ってるんですけど、まあその話なんですが。その前に
書く文化と語る文化とうつす文化と分化した文化ってね。
これ、まあこれまで話してきたこととも少し重なる部分はあるんですけどね。
ホモ・サピエンスは語る文化しか、語る文化をまず手に入れたんですね、語る文化ね。
文字がなかった、語る文化。
とにかく語る、語る言葉を手に入れて語るようになったんですね、5万年くらい前に。
なんとね、まあうちのワンコも語りますけど、おーおーおー語りますけど、言葉なんないんですが、これが分節化できちゃうわけね。分節化して、アーティキュレーションですね。
アーティキュレートして、口がこう発達するわけね。
これは実はあの、固いものを食わなくなったっていうか、調理したものを食べるようになったから口がこんだけこう、舌とかね、発達したっていう。喋れる口になるっていうのは結構ね、重要なんですけど、それ以前の歴史があるんですが、まあそれはさておき。
とにかく消化の良いものを食べるようになったから語れるようになったっていうことなんですが、あと食べる時間にあんまり時間を費やさなくなったから喋る時間が増えたっていうことで、まあとにかく語るのはホモ・サピエンスの本質になってるわけですけど、そんな中でこれを、書く文化が分化していったわけですね、分かれていったわけですね。
書く文化が分化していったっていう。
うつす文化はその後なんですね、実はね。
これはまず書き写すから始まるんですけども、真似して書くんですね。
よくそのアニメとか漫画とかね、ジブリとか真似して書いた人いっぱいいると思うんですけど、最近はもうAIが真似して書いちゃうんでね、ホモ・サピエンスやることなくなっちゃったんですが、つまりうつす文化はAIにとって代わられちゃったっていうね。まあコピー文化ですね。
全部うつしとっちゃう、こうやって語った言葉も全部文字にうつしとっちゃう。
音声から文字に変えちゃうっていうことなんですけど、とにかくうつしちゃうわけね。
うつすっていう漢字いっぱいあって、写真で撮るのも写すなんですね。
だからカメラが発達して、写真が撮れるようになったっていう。
昔、私が子供の頃は、もう50年以上前ですけど、バカチョンカメラって言ってね。
一般家庭にもカメラが普及し始めて、こうバカチョンカメラ、フィルム入れてね、バカチョンカメラ、誰でも撮れるっていう、バカでもチョンでも撮れるからバカチョンカメラって言ったんですが。その後いわゆるなんだ、
使い捨てカメラが出てくるんですが、それはもっと後なんですけどね。
そんな話はさておき。それで誰しも手軽に写せるようになったんだけど、昔はめんどくさかったんですね。
写真屋さんに持って行って、現像してもらわなきゃいけない。3日4日経って取りに行かなきゃいけないっていうね。プリントできなかったわけね。
その自分ではフィルムまでは写せても、その後の処理は人手が必要だったわけですけど、今これがなんとスマホで撮ったらもう、みんなプリントアウトしないよね。
今プリントアウトしない。プリントアウトするにも自分家でプリントアウトできちゃうみたいなね、印刷機持っててね。
いう風になっちゃって、コピーできちゃうわけね。世界を2次元のビジュアルに写しとってしまうっていう、これがカメラの発達ね。
カメラは目を持ってるわけね。スマホ、みなさんのスマホも目を持ってるでしょ。レンズがついてる。これがまた、私の持ってるスマホ、レンズが3つぐらいついてますよね。
すごいですよね。だからいろんな絵が撮れるというね、世界をなるべくリアルに写しとるためにカメラという目が、人間の視覚に代わってカメラという目が、昔はピンホールカメラから始まってるんですけどね、
暗い箱に穴開けて針でね、フィルムを入れといて中に暗い中にね、それで1時間も待たないのかな。ずーっと待ってると絵が撮れるっていうね、光が入ってね。
まあそんなのがありましたけど。何の話してるのか分からないけど、とにかく目が必要なんですね。昔はピンホールで穴が目の代わりしたんですが、節穴でそれはね。
針の穴で。それがどんどんどんどん進化してスマホにカメラをくっつけた。これもスマホの歴史があって、まさか携帯にね、ガラケーにつき始めたんですけど、ガラケーにカメラをつけるっていう発想ね。
写メが流行ったんですけど、これ考えた人すごいと思うんですが、あの私の知り合いにね、いや私もそのアイディア関わったんですよって人がいましたけど、メーカー勤めてた人で、まあそれはさておき、それはもう発想の転換だよね。
電話にカメラをつけるっていうね、すごいことですよね。だけどよく考えてみたら、今スマホこうなってるから当たり前のように思うかもしれないけど、とにかくこれ目もついてるし耳もついてるし口もついてるわけね、スマホにはね。
音も出るし、しゃべれば聴いてくれてね、録音してくれるわけだし、だから目もつけちゃえってね、だから口と耳だけじゃなくて目もつけちゃえってね。
今まだついてないのが、まあいいや、嗅覚と触覚、触覚はあるか、まあいいや、どうでもいい話ですけども。
とにかく視覚聴覚とあと喋るね。耳と口と目がついてるってこれすごいですね、スマホね。目と耳と口がついてるっていうね。もう魔法の、魔法のなんだこれ、魔法の箱じゃないよね。
なんつったらいいの、魔法の板ですね、今や魔法の板になっちゃいましたけど。
バカチョンカメラの時代とかから考えるとすごいことですよね。バカチョンとか使い捨てカメラとかなんだったんだろう、でも世界を写すためにはそれしかなかったってことなんですけど。
他にも8ミリビデオとかあってね、8ミリビデオなんてこれ金持ちの家しか買えなくて、うちにはなかったですね。
ところがこれがホームビデオみたいなの出てきてこうなんていうの、結構ハンディカムみたいなの出てきてね。これがまた動画を撮れるようになったっていう。あんなでかいやつ使ってたわけね、昔はね。
今スマホで撮れちゃうっていう、動画もね、すごいですよね。昔よくもハンディカムなんて持ち歩いてたなと思うし。
まあいいや、どうでもいい話ですけど。そんな話でタイトルに戻って、書く文化と語る文化とうつす文化と分化した文化を統合する編輯の話ということで、実はその語る文化から始まり、書く文化が生まれ、そしてうつす文化が生まれ。
これらは全部、分化してたわけね、分化してた、分かれてたんだね。
これを統合するのがまさにエディット、編輯ね。今のこのスマホっていうのをデザインした人は、このデザインも一種のエディットなんですよね。
デザインするイコールエディットであって、この編輯って言葉の輯の字、だから口と耳がついてるのね、目はついてないけどね。
車輪の車、車がついてるのね。なんで車がついてるかってこれ調べると出てくるんで、ぜひ調べてみてください、編輯ね。
糸で繋いで、耳と口と全部繋いじゃうみたいな。継ぎ接ぎで繋いじゃって統合しちゃうっていうね。これがまさに分化した文化を統合する編輯の話ということで。
実は今、SNSとかこういう話すると、音声配信とか文字配信とかね、映像配信とか、あと写真の配信とかもう自由にできるようになったじゃないですか。
ツイッターの文字列140文字から始まってインスタが出てきて、写真が配信できて、今はもうどこでもツイッターでもインスタでも動画が配信できてライブ配信ができて、昔それできなかったから。
なんとかストリームとかやってたわけですけど、別のアプリでやってたわけですけど、今全部統合されちゃったわけね。
これも一種のアプリデザインであって編輯なんですよね、エディットですよね。これとこれを継ぎ接ぎで糸でくっつけちゃえってね、統合しちゃえって。
今まさに統合する文化になってるわけね。分化してきた文化が、カメラとか電話とかね、ビデオカメラとか、あとなんだ、あのコピーですね、コピーですね、文字列のコピーとかね。
こういうのが全部、今、統合されちゃったわけね、スマホにね。分化した文化が統合される時代に入って、ここにAIが入ったことで、さらになんだろう、一つは精度が上がったのと、
こういうAI、こうやって語った言葉の文字起こし、やっぱりAIがなければ、生成AIがなければ生まれなかったんで、うつすが、その語る言葉を文字にうつすという、このうつすができるようになった。
昔はこれやっぱりできなかったわけでね。喋った言葉、音声データとしては残しても、文字データにするには人が打つしかなかった。
これを今AIがうつしてくれるっていうね。文字にうつしてくれる。だから、こう違う文化をAIが入ることで統合してうつしてくれるようになっちゃったっていうね、これすごいですね、やっぱりね。
そんな形で今や編輯の時代に入って、AIくんは編輯が得意なんですね。
ジブリの、なんだ、この写真でジブリ作ってって言ったら、編輯して作っちゃうわけですよね。全部、編輯ですよね。
全ては編輯です、AIくん。こういう生成AIが文字を起こすのも編輯。
こっちが何々についてどう思うとか言って、わーっと文章打ってくるのもこれも編輯、エディットしてるわけね。
だからAIくんはあらゆるものを統合的にエディットする、そういう脳みそなんだね。
実はこの脳みその本質ってのはみんなエディットなんですね。ホモ・サピエンスの脳もエディットするわけね。
目で見たもの、耳で聞いたもの、口で喋ったものを全部脳内で編輯して、
あ、この人はこういうことを言って、今怒ってるとかね、いうのは耳と目と喋ってる口とね、
こっちがなんか聴いてかえってきた言葉とか、そういうことを全部頭の中で編輯して、
統合したイメージにして、あ、この人は今怒ってんだなーとか、喜んでんだなーとか。
嫌よ嫌よって言ってんだけど本当は喜んでんだなーとかね。
あるいは顔は笑ってるけど実は怒ってんだなーとかね、顔は怒ってるけど実は喜んでんだなーとかね。
そういうことを統合的にこうエディットして、脳内でエディットしてね、それで判断するということで、
こうエディット能力ってAIにとってもホモ・サピエンスにとっても本質的な能力だっていうことで、
書く文化とか語る文化とうつす文化を全部エディットして統合して、
何をするかっていうことが問われる時代に入ってきたんじゃないかなーなんてね、
思ってんですけど。何の話か分かりませんね、相変わらずね。
まあ面白くてしょうがないですね。ということでのんきに終わりたいと思います。
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