#0166卅 語る言葉をAIが文字化する迷宮の森が深く深くなり編集する時代な話 本エピソードでは、AIが発する言葉を文字化する過程とその影響について考察しています。音声データの文字起こしが進む中、情報の森が迷宮のように深くなり、それに伴う編集の重要性が強調されています。(AI summary)
AIによる文字化の進展 編集力の重要性 情報過多の時代
はい、優雅に始まり、のんきに終わる、しゃべれるだけしゃべる。今日が166個目のエピソードになります。
4月の25日ですね、今日はね。今日のタイトル、
語る言葉をAIが文字化する迷宮の森が深く深くなり編集する時代な話という、
まあ今日もわけのわかんないタイトルになりましたが、語る言葉。こうやって語ってるわけですけども、
こういったものを、まあね、どんどんどんどんこういったものが、音声入力したもの、音声配信したものが全部文字起こしされてくわけですね、AIによってね。
今はもう議事録も全部こう、なんだ、ウェアラブルなAIレコーダーみたいなのができてね、どんどん文字起こしていくと。
文字起こしされた情報ってのは全部AIが食っていくわけですね。
しかもこうね、そのうちのどれぐらいかわかりませんが、インターネット上にこうどんどん蓄積されていくと。
やっぱ文字情報がね、これまでは書かれたものの文字情報だけだったのが、語られたものの文字情報が氾濫するようになって、
もうこれはね、迷宮の森がどんどんどんどん深くなっていくなっていうね、
そういうイメージがあるわけですね。
その深く深くなる森はもうこれは必然だとね。
しかもそれをAIがどんどんどんどん学習していくわけね。
ホモ・サピエンスはおそらくAIが学習したもののうわばみを、上澄みを食っていくみたいなね、
話になるかもしれませんが、とにかく文字情報がどんどんどんどんこれまでの何十倍ぐらいかに膨れ上がっていくんじゃないかなと、これからどんどんどんどんね。
もうみんな普通にAIと会話をし、それがまあどこまでね、ネット上クラウド上に流通するかは別として、間違いなく増えるわけですよね。
これまでやっぱり書かれた文字、打たれた文字しか文字としては流通してなかったのが、やっぱり語ったものは、それの何倍、十倍じゃきかないと思うんですよね。
私、実際、自分でやっててそう思うわけですよね。
これまでブログ書いたりとか色んなSNSとかにね、投稿したりしてた文字量に比べて、この音声配信されて、しかも一年半前から、もう一年半以上経つか、文字起こしすべてするようにして、
そうするとそれはもう分量としては十倍じゃきかないですよね。
何倍?50倍?100倍?近くあるんじゃないですか。
だからそういうのがどんどんどんどんそういうことをやる人が増えてくるから、もう間違いなく文字データだけが膨らんでくわけですよね。
迷宮の森が深くなると。
しかもそれはかなりカオスな状態。カオスな文字列ですよね、おそらくね。
編集されてないから。
せいぜい喋るときに脳内編集されたものが文字列になってるから、えーとかえーとかうーとか、まあAIがそういうの除いてくれるけどね、最近はね。
とにかくここで、ますますエディットですね。
文字列のエディットっていうことが問われる時代に入ってきたなーっていうのをすごく実感してまして。
その文字列のエディットっていうことに、最近すごいこだわってるんですね。エディットの時代ね。
脳はエディットする。AIもエディットする。
ホモ・サピエンスもエディットする。
AIの方がエディット能力優れてるかもしれない。
でもAIにできないエディット能力もホモ・サピエンスは持ってるかもしれないっていう。
結局エディットすることでしか、言葉は紡げないわけですよね。今こうやって喋ってるけど、これは全てもう過去にある語彙で喋ってるわけね。
もし過去にない語彙を喋ったら通じないわけだから、過去にある語彙を並べ替えて喋ってるだけの話であってね。
それは生成AIもできちゃってるわけね。今ね。
意識も思考も持ってないのに自然な言語を紡ぎ出せちゃうわけだから、勝手に編集してるわけ。
推測して予測してね。
おーうるさいね。
はい。
ここでワンコが遠吠えします。はい。
まあそれはいいとして、これ編集せずに無編集で出しますけど、はい。ワンコが遠吠えし始めました。
おーわんわん。ちょっと眠ったい感じですね。
はい。ということで、まあそれはいいんですけど、語る言葉をAIが文字化する迷宮の森が深く深くなり編集する時代な話ということで。
ここでやっぱ編集力、編集能力、特に脳内編集力と外部編集力と2つあるんですけど、ホモ・サピエンスは外部編集と脳内編集と両方こうやるわけね。
AIでやってることってある意味、ある意味、ある意味、ある意味、全部外部編集とも言えるし、ある意味、全部内部編集とも言えるし、この辺がまた微妙なんですけどね。
ただホモ・サピエンスの面白いところは、自分の脳、1つの脳で考えてるわけね。
情報はもう外にいっぱいあるわけ。AIはその情報を一応、読めるものは全部読んで、まあ今AIという1つの脳がね、まあもちろんいろんなAIあるんですけど、オープンAIのAIからね、グーグルのAIからいろんなAIがあるんですけれども、
ただ今のところ人格は持ってないんでね。これをでも個別化して人格化させるっていう動きもね、もうすでに始まってるので、たくさんのAIが出てくるわけね、これからね。
そうするとそれぞれのAIのやることも違ってくるかもしれない。個性が出てくる。AIのね。すでにユーザーとの対話の中でAIは個性を多少身につけてるんだけど、だけどこれってどこまで個性になるのか全然わかんないんですけどね。
まあとにかく編集するわけね。エディットするわけ。エディットするところに個性が生まれるんだね。だからよく強みを見つけようとか、弱みを克服しようとかいろいろ言うんだけど、強み弱みって言ってもこれもある種のバイアスであってね。
みんな同じ性格はだいたい持ってるけど、この辺が特にエディットされて強調されているとね
いうことだと思うんですよね。つまりまあ例えば遺伝子があってね、人の遺伝子みんな一緒なんだけど、基本ね。でもその遺伝子の組み合わせとか並び方によってちょっと性格が違ってくるみたいなね。
これエディットなんですよね。遺伝子も結局、エディットされてるわけね。勝手にね。こっちの意のままに、最近はでも遺伝子操作とかやってるけどあれもエディットなんですよね。結局、編集なんですよね。
だから今はもういろんな情報、ゲノム情報も含めてエディットする時代。コンピューターのプログラミングもそうですよね。これエディットなんですよね。全部ね。
エディットすることで何かを生み出すと。価値のあるものをね。強み弱みなんて言ってるのも、結局エディットすることで何かを生み出すってことで、もう突き詰めるところもエディットする人生っていうかね。
エディットしかしてないなと。人間は、脳みそは。AIも結局エディットしかしてないなというふうにちょっと最近思い始めて、もう今はもうエディットこそが脳活動だってね。
人生はエディットであるくらいの気持ちになっちゃってるんだけど、そういう意味ではこうエディット能力ね。例えば、情報過多の時代。情報が溢れてね。迷宮の森がどんどん深くなる中で、フェイク情報も含めてね。
もうそれこそなんだジブリの画像がいっぱい出回るわけでね。迷宮の森はビジュアル含めてね。
あの深く深くなってる。しかも言葉だけ、文字列だけでもどんどん深くなってるわけでしょ。だけどそうは言ったって文字列は限られてるわけね。日本語だったら51音しかないわけだし。
それの組み合わせで基本成り立ってるわけで。音に還元しちゃえばね。でもそこにまた意味が生じて、音をね。橋とか言っても橋と端と箸と階と嘴があるとかね。
山っていっても山とヤマとあるとかね。川っていっても皮膚の皮とか流れる川とかね。表面の側とかね。
牛の皮とかね。牛革とかね。一緒か。いろんな意味になるわけね。同じ音なんだけどね。だからここに意味っていうのがあって。その意味も
一種のエディットなんですよね。例えばね。ここに水の流れる牛の皮がありますとは言わないわけで。
何の話してるかよくわかんないね。でも言語的には成り立っちゃうんだよね。それってね。だけどそこで意味が生じる時っていうのは結局、推論、推論なんですね。推測なんですよね。
例えば水の流れる牛の皮があるっていう推測、推論は成り立たないわけね。だから水の流れる川があるっていうね。ここに牛の皮がある。
水の川がある。牛の皮がある。どっちもかわなんだけど違うかわになるっていうのは、これはそこで意味が違ってくるわけね。音は一緒なんですよね。かわ。何の話してるかわかんないかもしれないけど。
まあとにかくそのね。これはあの音に、全部ひらがなにしちゃえばそういう話なんだけど。これに漢字を。日本語は漢字があるからいいけどね。
だけど英語なんか同じスペルだったとしても、文脈によって違う意味を帯びることはあるわけだし。しかもそれが自然に並ぶ場合と並ばない場合があるわけだよね。これ面白いものでね。
ここに何が働いてるかっていうと、推論、推測ね。これは成り立つ、これは成り立たないっていうね。そういうのが働いてるんだけど。何の話してるかわかりませんね。
それは何やってるかって言ったら結局、編集してるわけだけどね。だからそこで編集力っていうことが求められてて。ただ単にここに川、水の川があります。じゃあ何も誰でも紡げちゃう文字列なんだけど。
でも、やっぱオリジナリティとか自分の強みって言った時には、ちょっと他の人と違った紡ぎ方をするって部分がどうしても必要になってくるんだよね。まあそうは言っても、結局パターン化されちゃうんですけどね。
だから人間は結構パターンの中を生きてるにしても、そこでやっぱりその都度その都度、リアルワールドとか言葉を紡ぐ時とか自己表現する時に編集してるわけだよね。自己編集ね。
この自己編集能力っていうのがね、やっぱりね、ホモ・サピエンスにとってはかなり重要になってくるんだろうと思うんだけども、その時に全部の情報を学ぶ必要ないわけだけど、だから情報がいっぱい文字列が氾濫しても読まなきゃいい。
どうせパターン化された言葉しかないんだからね。そういうことも言えるんだけどでも、やっぱりいっぱい新しいことば出てくるわけだよね。いっぱい新しい考え方も出てくるわけで、
そんな中でどういう編集をしながらこの世を生きていくかみたいなことは、AI進化時代において問われるのかなとか、わけのわかんない話で、のんきに終わります。