井戸端のように日記を書いて、生成AIの意見も混ぜ込んでみるテスト
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from 2026/02/05
井戸端のように日記を書いて、生成AIの意見も混ぜ込んでみるテスト
/villagepump/2026/02/05#69841cc00000000000854bd0 からコピペ
Cosenseの日記(個人プロジェクト)でも井戸端的な表現をすれば、自分とAIの区別がつきやすそうtaktamur.icon
/nishio/他人が納得する行動理由は後付け をみて、内容も面白いのだけど、書き方が面白いと思った
西尾さんとChatGPT、二人登場しているような見た目(アイコン)
井戸端の二人バージョンみたいな
自分の文章の中にLLMが混ざると、「自分の領域に他の人の思考が混ざってる」ような気がして、引用とか🤖アイコンとかつけて、エリア分けしてた
例:/taktamur/streamlitて音声認識
見た目で「自分」と「🤖」が分離できるように
井戸端のようなスタイル(アイコンで人/AIを表現)をすれば、混ざってもそこそこ違和感ない書き方にできそうだと思った
これについてどう思う?
🤖
「混ざる違和感」の整理がうまい
自分のページにAI出力がそのまま載ると、あとから「これ自分の考えだっけ?」となる
出典の問題というより、思考の帰属(ownership)が曖昧になる問題
引用や🤖アイコンでの対処は正しいが、「自分の文章の中に異物がある」見た目になる
井戸端スタイルにすると構造が変わる
「自分のテキストにAI引用を埋め込む」→「対話の場に二人がいる」に変わる
AIの発言が異物ではなく対話相手の発言として自然に位置づけられる
西尾さんのページが読みやすいのはまさにそこ。ChatGPTが「ゲスト」ではなく「参加者」に見える
そうそれtaktamur.icon
副次的に書きやすくもなりそう
「自分が雑に投げる → AIが返す → それに反応する」がそのまま記録になる
整形・編集して一つの文章にまとめる必要がない
思考プロセスがそのまま残る
気になる点
個人プロジェクトで井戸端スタイルだと「誰に向けて書いてるのか」がぼやける可能性
→自分向けがメインであることには変わらない。そこに登場人物として「自分」と「🤖」が出ているtaktamur.icon
井戸端は本来複数人が見る前提の場なので、日記的文脈だと「メモなのか対話ログなのか」が混ざるかも
→これも自分用のメモで、使い方もその時々で変えれば良いから問題なさそうtaktamur.icon
ただ、アイコンの使い分けで十分区別できる範囲だと思う
何ページか試して、あとから読み返したときの感触を確かめるのが良さそう
↑をLLMに渡してみた↓
🤖
おお、まさにこれ自体が井戸端スタイルの実演になってますね。
実際にやってみると、🤖の長めの発言の間に taktamur.icon の短いリアクション(「そうそれ」とか「問題なさそう」)が挟まることで、読んでて対話感がちゃんと出てる。自分の考えとAIの出力が混ざってる感じはなくて、二者のやりとりとして読める。
気になる点への返しも納得で、
「誰向けか」→ 自分向けであることは変わらない、登場人物が増えただけ
「メモか対話ログか」→ そもそも固定しなくていい、その時々で変える
このあたり、Scrapboxの「形式を厳密に決めない」思想とも相性が良さそうです。あとは実際に数ページやってみて、読み返しの感触を確かめるフェーズですね。