音MAD
このcosenseでは、「サンプリング中心で音楽的な音声を作成し、多くの場合サンプリングが明示的になるよう映像を付けたもの」という定義で使いたい
内在的な定義
非常に普遍的な手法である
サンプリング自体普遍的だし、それに映像を付ける場合サンプリング元の映像を合わせるのは自然な発想に思うtakoochiki.icon
こうしているのは、できるだけ普遍的な言葉であってほしいから
特定の文脈が付随するものという見方は狭いように思う
「音MAD」という名称が生まれた背景がニコニコ動画の音MADタグ文化だから、この内在的な定義に「音MAD」という名称を使うべきかは疑問に思う 書いてて思った
ただ、音MADという名称はかなり普及している
世間での使われ方
内在的な意味で「音MAD」と言っているのか、それとも「ニコニコ動画の音MADタグ文化」を言っているのか、文脈によってさまざまである 音MADではないものがあることを示唆
社会的な定義
アートは知ったかぶりだから間違ってるかも
別にタグは付いてない
「サンプリングとしての(内在的な意味での)音MAD」「音MAD文化」「(文化に付随する)美学」があると思っている
曲と素材の組み合わせ
音MADを認識するとき、この構造が基本的だとかなり感じる
曲と素材の組み合わせを前提としない動画
技法自体は音MADでよく使われる
音MADは、映像↔音声、素材↔曲といった関係を創造することである
音MAD抽象論:多層データベースモデルについての考察
音MADを定義するのは難しい
私が知りたかったのは「音MADが生産される仕組み」や「バラバラに見える現象を統一的に説明できるような原理」という構造レベルの話
音MAD作品そのものではなく、「音MADが作られるという現象・構造」(モデル)を定義する
多層データベースモデル
表層データベースと深層データベースがある
表層データベースは、素材と曲の組み合わせ
深層データベースは、作風やスタイル、技術
深層データベースにおいては、そのデータベースの要素をひとつでも含む作品はすべて音MADになります。
音MADをつくる行為はこのデータベースに書き込む行為
表層が深層に、深層が表層になるという循環構造がある
インターネットミームは、コピーされるもの
音MADは「技術コピーのカルチャー」を形成している
音MADは「作品そのもの」がコピーされるというより、作品を生み出すための「プロセス」や「設計図」がコピーされ、それがコミュニティ全体で共有されていくのです。
素材と曲の組み合わせは作品のオリジナリティそのものであり、コピーされない
読んで思ったこと
文化の話
音MAD以外でも似た話ができそう
素材と曲の組み合わせが前提にあるというのは同意
素材や曲1つに限ったらコピーされるよな、と思う
どちらかというとそれが主流に感じる
データベースは人によって違うよな……
音MAD文化論
あとで読む
うーん、音MADの定義を必要とした場面にあまり出くわしたことがないからなあ……
必要に応じて書くのがよさそう