音MAD文化論 第7回:分類論③—流派
文化プロジェクト(作品など)を分類するために用いられる
他の類似概念と明確に区別される
フィクション:SF、ホラー、サスペンス、コメディなど
音楽:ジャズ、ロック、ヒップホップ、エレクトロなど
さらに下の「孫ジャンル」が存在することもある
例:アドベンチャーゲーム
グラフィックアドベンチャー
ポイント&クリック
流派の派生と結合
既存の流派から新しい流派が派生することがある
複数の流派が結合して新流派が生まれることもある
例:RPGとアクションの結合によるアクションRPG
流派の根本的な性質
人為的に構築されたカテゴリーにすぎない
何らかの利便性のために流通している
時代や地域によって分類方法が変化する
流派の「本質」や「真の所属」を問うことは無意味である
本連載における立場
単なる「動画+音楽」の変種ではない
例:オペラ(歌+演劇)や映画(写真+演劇)と同様の混ざり合いである
この2つの概念は非常に混同されやすい
「原曲再現」などのパターンや手法を指すならスタイル 日常生活における混同の理由
用語の使い方が厳密でないために起こる
歴史が十数年と浅く、分類作業が非常に未熟である
議論に用いる用語自体が決定的に不足している
だからこそ、分類作業を行うことが極めて重要である
3. 流派分類の意義
なぜ流派の分類が必要なのか
創作者は流派の概念に基づいて創作を行うため
観客は流派の概念に基づいて作品を思考するため
作品内の暗示や省略を補完する
例:「ゾンビに噛まれると感染する」という前提の共有
現実の論理ではなく、流派の慣例(流派原則)に依存する 見る流派によって作品の解釈が全く異なる
「調声がないからダメ」という評価にはならない
なぜなら、その流派では調声しないのが普通だからである
作品のどの要素や特徴が重要かを教えてくれる
テンプレ的な流派作品は価値が低いか?
典型に当てはまるからといって独創性がないわけではない
斬新さよりも、完成度や質が重要である
流派間に優劣はあるか?
例:「社会派」は「ギャグ」より優れているか?
社会問題提起と笑いの提供では目的が異なる
状況や個人の好みに依存するため、一概に順位付けはできない
特定の流派として「優れている」とは何か
観客がその流派の慣例を理解している必要がある
その理解に依存して評価が下される必要がある
特定の流派を取り上げて論じる研究のこと
作品論や作者論と対比される概念である
隣接する流派との比較を行うことも多い
「必要十分条件は何か」を探してしまう罠
「カバーする範囲はどこからどこまでか」を気にしてしまう罠
回避策
そもそも厳密な定義(線引き)が必要か熟考する
特徴の記述と例示だけで十分なことが多い
流派の名称(字面)から結論を導くのは最悪の手段である 「いつ形成されたか」「始祖はどれか」を探してしまう罠
始祖の判断基準は複数存在する
1. その流派の特徴を備えた最古の作品
2. 歴史的連続性が明確に辿れる最古の作品
3. 流派名の由来となった作品
全てを満たす例もある(例:RPGにおけるD&D)
しかし、全てを満たす作品が存在しない流派も多い(例:FPS)
回避策
唯一の「始祖」を明確に指摘するのは困難だと認識する
代表作群を基準にして、遡って考察すべきである
「同じ流派とはどういう意味か」に悩んでしまう罠
同名だが違う流派の例(City Popなど)
異名だが同じ流派の例(ChillwaveとShoegazeなど)
回避策:以下の3つの思考法を状況に応じて使い分ける
機能類型説:特定の機能(恐怖、笑い等)を共有する作品群とする考え 伝統説:先行作品への参照と歴史的背景を共有する作品群とする考え 名称にこだわりすぎないことが重要である
分類に対するよくある反対意見
「流派は無限に作れるから無意味だ」
「分類のための分類になってしまう」
条件を緩く設定すると、何でも流派になってしまう懸念
特徴説、機能類型説、伝統説のどれをとっても流派は乱立しうる
任意の作品の集まりが自動的に流派になるわけではない
共同体がその分類を重要と見なす実践があって初めて流派になる 集団の規範が、アイデンティティや独自の価値観を提供する
結論と今後の展望
現状の音MADの流派分類は全く進んでいない(ブルーオーシャンである) 本記事の「社会派」「ギャグ神作」なども仮の名称にすぎない
分類論の知識(第6回、第7回)を踏まえ、実践的な分類に挑戦してほしい