20221005
日向坂46「月と星が踊るMidnight」をちゃんと聴いて、この曲は日向坂46に流れる欅坂46の系譜である現代に対するロックマインドと、日向坂46の持つアオハル感の融合を試みた作風だと思ってて、それってユース年代にめちゃ刺さるロックなんじゃね?って思っている。一方で「きっと決心をすることに 遅すぎることはない」という一節もあって、解釈によってはもう少し上の年代にも刺さりそう。「ソンナコトナイヨ」くらいからエッセンスが含まれ始めている、弱気な者にも寄り添う現代の応援歌なんだろう。
https://youtu.be/vgEVzGcr89w
NHK「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」の60年代アメリカの話を観た。60年代のアメリカは公民権運動をはじめとした"闘争"の時代であり、小さな田舎町から都会に移り好きに着飾って抑圧から抜け出す"逃走"の時代だった、と語られる。1961年公開の映画「ティファニーで朝食を」で主演のオードリー・ヘップバーンが務めたホリーというキャラクターも、かつては田舎町で若くして家庭を持っていたが、そこから抜け出して着飾ることで自分を作り直して都会で生活している姿が描かれている。そこに共感が生まれるような時代背景だったのだ。この話を聞き、なんとなく自分と重なるな、と思う。ぼくがなぜ東京に住むのか。それは、やはり自分と関係する社会を仕切り直したかったのかもしれない。でも、個人的にはそれは函館でも充足しているのよなあ、とも思う。一方で、この番組では「都会とは、人々が逃げ出し自分自身を作り直すチャンスでもあり、結局は、自分自身に囚われてしまう場所でもあるのです」と元ニューヨークマガジン編集長のカート・アンダーセン氏は言うシーンも流している。そのバランス感を持って強く生きる必要があるのだ、と言われている気持ちになった。圧倒的な強さじゃなくてよい。必要なときに必要なだけ、自分と自分の大切なものを守れるだけの強さを。そして自分の弱さを癒せる自分の大切なものを持つべきなんだ。