「ソフトウエアにカネを払えるか」と言ったIT部門、今も変わらず
特にIT部門にいえることだが、日本企業のソフトウエアに対する理解が「ソフトウエアにカネなんか払えるか」と言い放っていたころと、さほど変わっていないと気が付いた。のっけからこんなことを言うと、IT部門に所属する読者から「いくら何でもソフトウエアを社内で一番理解している我々をつかまえて何を言う」と怒られそうだが、紛れもない事実である。
例えばソフトウエア製品について、こんな不平を口にする。「ITベンダーが勝手にバージョンアップしただけなのに、何で(ライセンスを)買い直さなければならないのだ」「結局は割高になるサブスクリプション契約なんて真っ平だ」。いやぁ、クラウドの時代に何を言っているのかとあきれてしまう。
いつもそんな不平を言っている人は「文句を言って当たり前だろ」と思うだろうが、明らかに間違いだ。ソフトウエア製品の客がそんなのばかりだと、ソフトウエアの進歩が止まるどころか、開発元のITベンダーはビジネスを継続的に発展させにくくなる。
日本企業、そしてIT部門が相変わらずソフトウエア製品をモノの製品、つまりハードウエアと同様に捉えている点が諸悪の根源だ。「ソフトウエアにカネなんか払えるか」というやからがゴロゴロいた頃は、ITベンダーらが「モノの製品と同じように価値がある」と啓蒙するのは意味があった。しかし、さすがものづくり大国ニッポン、薬が効き過ぎたようで、今もなおその定義がはびこっている。
こう書くと、今度はIT部門だけでなく日本のITベンダーの一部からも「ソフトウエアを工業製品と見なすならよいではないか」との声が聞こえてきそうだ。だが、それでは駄目なのだ。モノの製品、例えば工場の機械を購入したなら壊れるまで使うのが原則であり、日本企業なら「メーカー責任」の名の下に、使っている限り製造元に対して保守サポートを求め続ける。
ちなみにソフトウエアは壊れない。実はモノの製品でもほとんど壊れないものがある。例えば顕微鏡。子供の頃に親に買ってもらった顕微鏡がいまだに健在なので、製造元の経営者に会った時、称賛の言葉を伝えた。すると、その経営者から「褒めてもらえるのはありがたいが、顕微鏡のお客さんには二度とお客さんになってもらえないんだよね」との言葉が返ってきた。
購入した製品で充足できて、しかも壊れないのなら、買い替え需要が限られるので市場は広がりにくい。もちろん顕微鏡のように製品としての完成度が高く、ほとんど壊れないために保守サポートが最小限でよいのなら、小さな市場でもモノ売りビジネスとして維持できる。
改めて言うが、ソフトウエアは壊れない。だが、顕微鏡のような完成されほとんど壊れないモノの製品とは違い、ソフトウエアは常に未完成品だ。今風に言えば「永遠のベータ版」である。ものづくり企業からすればあり得ない率で欠陥(バグ)を抱え込んでいる一方、いくらでも新機能などを取り込んで成長できる。だから客にモノの製品と同じと見なされては、ソフトウエア製品のビジネスは成り立たない。
旧バージョンにこだわる理由とは
そんな訳で日本企業、特に大企業のIT部門のソフトウエアに対する無理解が日本ネイティブのソフトウエア製品の成長を阻害した。「買った以上、俺たちのもの。使い続けて何が悪い」と言うだけならまだしも、「俺たちが使い続けるんだから、保守サポートを継続しろ」と多くの客から要求されては、弱い立場のITベンダーは何世代にもわたってバージョンをサポートし続けるしかない。
その点、グローバルでビジネスを展開する外資系ITベンダーは日本企業の要求に無頓着でいられるため、旧バージョンの保守サポートを一定期間で打ち切る。ライセンス条件を突然変更するなど優越的地位の乱用を疑うようなことをしでかすが、基本的に世界中の客にそれなりの同意を得られるから、旧バージョンのサポートをやめたり、サブスクリプション契約を導入したりできる。
ソフトウエアの本質を理解し、クラウドサービスとの整合性を考えるならば、サブスクリプション型が利用形態や料金形態の両面で最も理にかなっていると思うが、日本企業、特に大企業のIT部門はOSやミドルウエア、アプリケーションの区別なく、買ったバージョンを可能な限り長い期間にわたって使い続けようとする。
そういえば以前、外資系ITベンダーの日本法人の幹部が嘆いていた。日本の客のこの奇妙なニーズについて、本社の上司に理解してもらえず困っているというのだ。上司は「何世代も前の旧バージョンのままでよいという客が大勢いるわけがない。君らのマーケティングに問題があるんじゃないのか」と言うだけで、日本の奇妙なニーズを信じてもらえなかったそうだ。
日本企業のIT部門が奇妙なニーズに固執するのは、もちろんソフトウエアに対する無理解だけが理由ではない。余計なカネを払いたくないとの理由を除いても、あと2つある。一つは「最新バージョンにして何かあったらどうするんだ」であり、もう一つは「新しい機能や技術は要らない」である。
先に「新しい機能や技術は要らない」のほうを説明する。単純な理由だからだ。ITベンダーは継続的に新しい機能や技術を提供することで、客に最新バージョンやサブスクリプション契約への移行を促そうとする。だが、客側が新しい機能や技術を必要としないのなら、そうした取引がそもそも成立しない。
私がこの「極言暴論」で何度も指摘してきた通り、日本企業のIT部門の劣化は著しく、技術の最新動向も自社の経営課題も分からなくなっているケースが多い。だから、例えばITベンダーにAI(人工知能)やIoT(インターネット・オブ・シングズ)関連の機能や技術を提供すると言われても、どこにどのように使えばよいか皆目分からない。
要は「猫に小判」「豚に真珠」だから要らないわけだ。劣化したIT部門にとって新しい機能や技術が必要になるのは、経営から「当社のAI活用についてIT部門としてのソリューションを出せ」などと指示されて、真っ青になったときである。必要になったとはいえ、技術について分かるわけがないので、SIerに丸投げするしかないのだが。
リスクを避けてリスクを抱える愚
もう一つの「最新バージョンにして何かあったらどうするんだ」は、いかにも障害を極度に恐れるIT部門らしい理由である。ただ、この「何かあったら」には2種類ある。ソフトウエア製品の新バージョン自体に障害が発生するケースと、バージョンアップに伴ってアプリのカスタマイズ部分や関連アプリなどに障害が起こるケースだ。
ソフトウエア製品の新バージョンに障害が発生しても、実は大した問題ではない。外資系ITベンダーは「日本の客は軽微な障害であっても『詳細な事故報告書を持って経営幹部が謝罪に来い』と大問題にするので閉口する」とよくぼやくが、IT部門からすると当然の振る舞いだ。ITベンダーにわびを入れさせれば、社内で大ごとにはならないからだ。
「何かあったら」で厄介なのは、ソフトウエア製品に依存して作り込んでしまった独自のアプリなどで障害が起こるケース。最終的には改修を丸投げしたSIerに責任を押し付けることになっても、独自開発のものである以上、IT部門の責任は免れない。
そうした事態を避けるために、ソフトウエア製品の新バージョンを導入するならば、影響を徹底的に調査しなければ踏み切れない。特に大企業には影響を受ける独自アプリが山とある。しかも独自アプリの多くは長年の場当たり的な改修でコードがスパゲティ化しているから、影響調査は困難を極めることになる。
そのため、IT部門としては旧バージョンを使い続けるという結論に至る。新バージョンで提供される新たな機能や技術はどうせ使わないし、多くの手間やコストをかけて移行したうえ、予期せぬ障害に見舞われるリスクを取るのは不合理なことなのだ。
最終的には、このリスク回避が旧バージョンを使い続ける大義名分となる。導入しているOSやミドルウエア、アプリなどがバージョンアップを重ねていっても、最初に導入したバージョンをずっと使い続ける。開発元のITベンダーには旧バージョンの保守サポートを要求するが、相手が外資系ITベンダーならいずれ“無慈悲に”サポートが打ち切られる。
そのときに「もっと早く移行しておけばよかった」と嘆いても後の祭り。数世代後の最新バージョンに移行するのは、以前にも増して困難だ。で、保守サポート切れの後も旧バージョンを使い続けるという悪魔の選択を採る日本企業は多い。リスク回避が旧バージョンを使い続けることの大義名分だったのに、経営リスクに直結しかねないセキュリティーリスクを抱え込むわけだ。
実際にサポート切れの旧バージョンを使い続けたために、マルウエアに感染して甚大な被害を受けた大企業の話を聞いたことがある。セキュリティー被害も問題なのだが、哀れなのはその後だ。事件を機に最新バージョンに移行しようとしたのだが、作り込み過ぎた独自機能の部分が最新バージョンになかなか対応できない。結果としてシステム全体が長期にわたって利用不能になった。
「日本のIT業界の現状が嘆かわしい」理由
やはりソフトウエアは「これで完成」ということのない永遠のベータ版なのである。どんなに完成度を上げても一定量のバグは含まれるし、新しい技術を取り入れ、新しい機能を組み込んで成長していく――。客もその「本質」を理解し、ソフトウエアが成長するために必要なコストを負担すべきなのである。
それが客にとっても大きな利益となる。何せ独自に開発すれば数千万円のコストがかかる機能をITベンダーが“勝手に”用意してくれるのだ。特に今が旬なものの、個社では大規模投資の難しいAIやIoT関連の機能が用意されるなら、PoC(概念実証)などの試みを低コストで実施できるようになる。
にもかかわらず、日本企業、特にIT部門にそれなりの人員を抱えた大企業は、ソフトウエアの成長に必要なカネを出し、その成長の成果を活用しようとしない。揚げ句の果てに、旧バージョンを使い続けて大きなリスクを抱え込み、そのリカバリーのために巨額のカネをドブに捨てることになる。全くもって愚かである。
さらに愚かなのは、ソフトウエア製品の機能をそのまま使えば済むような領域でも独自のソフトウエアを作りたがる慣習だ。この件は極言暴論で何度も書いていることだし、IT部門だけの問題でもないので、今回は詳しく触れない。ただ、この記事のテーマに即して一言だけ書いておく。
ソフトウエアの本質を理解せず、そこにカネを出そうとしないという意味においては記事の冒頭に書いた通り、「ソフトウエアにカネなんか払えるか」と言い放っていた頃とさほど変わっていない。ただ、独自のソフトウエアの開発をSIerに丸投げする際に、人月で見積もれる作業量にはカネを出す。本質的な価値にカネを出さず、単なる作業にカネを出す。何度も言って恐縮だが、愚か以外の何ものでもない。
そういえば以前、この記事に書いたような話を大企業のIT部長にしたら、「いかにも外資系ITベンダーが喜びそうな話だね。そんなことを言っていると、彼らの回し者と思われちゃうよ」というシニカルな反応が返ってきた。何ということ! 失礼にも程がある。
そもそも日本でメジャーどころのソフトウエア製品が外資系ITベンダー製ばかりになってしまった理由について、よくよく考えてみる必要がある。母国の客に「俺たちが使い続ける限り、保守サポートを継続しろ」と言われ、軽微な障害であっても「詳細な事故報告書を持って経営幹部が謝罪に来い」と怒鳴られる状況では、世界に飛躍するITベンダーが生まれるわけがない。
大企業のIT部長は「日本のIT業界の現状は嘆かわしい」などとも言っていたが、その責任の一端はあなたにもある。クラウド利用が本格化してきたが、日本の大企業の意識改革が進まないようだと先行きが心配だ。クラウドサービスとして提供されるソフトウエアに対しても、既存のソフトウエア
製品と同じことを要求し続けるようであれば、日本のIT業界の将来は「嘆かわしい」状態のままである。