比較優位を人の生活で考えると、楽に大量にできることをやるのがいいことになる
比較優位は、自分が一番効率よく生産できるものを輸出していくのが、全員いい感じになりますね、という発想
別によその国と比べる必要はない。
豆、魚、肉で自分たちは豆が一番とれるのであれば、隣の国がもっと豆をとれようが関係ない。
だってその国は豆よりも魚のほうがよくとれるんだから。
豆集めてる暇あるなら海に出ろって話。
豆一番とれる人は豆、魚とれる人は魚を出していけばいい。
それがみんなが幸せになるあり方。
人間で置き換えれば、普段色々やれることやる、必要のある事の中で、自分の中で一番生産できることを送り出していけばいいことになる。
じゃあ自分にとって一番生産できるのはなんやねん、という話になる。
つまり、自分にとって最も生産性の高いことは、同じことをめっちゃ楽にできる、または同じ時間でめっちゃ多くできる、そんなもの
つまり楽に多くできる事
ひたすらこれに注力するのが全員にとっていいということになる。
25/10/10
ただ、これをやりすぎると結局現代の高度な専門化、分業化ということになって、そうなると専門領域以外のことは何も知らなくていい出来てなくていいという開き直りを生んでしまう、そしてそういうやつは魅力的ではない