完成してから発表することの是非
何かを調べたり学んで、文章にまとめて公開する場合、その理解が終わってから書き始めるが、本当に公開されるべきはそっちなのか、という問題。
つまり、理解したこと学んだことがなんであるかはっきりしたうえで、全てのインプットが終ったと判断してから書かれたものが、公開されるべきなのか、という問題。
そのゴールにたどり着こう、分かろうとする過程での頭の中の流れはその瞬間にしか表現され得ないが、そのときには、まだ何も分かってないから、もっとわかってきてから、整理出来てきてから書こうと思う。
でも、その、「わからないなあ、どういうことだ、こういう意味か、こういうこともあるなあ、これと関係しているのか」というその瞬間にしか書けないことにもおもしろさがある。
もっと言えば、分かってから書くときの、全部知った立場からの整理されすぎた文章は面白いのか、という問題。
勝手に未完成と判断して途中と判断して切り捨てている時間の頭の流れが、文章として記述されているべきではないのか、という話。
勝手に完成品と思っているものそれが表現されるべきと思っているその判断は、本当にそれで正しいのか、という問題。
インプットしたらアウトプットしないといけない、と言われるときのアウトプットは、完成品を見せることなのか、という問題。
過程における思考をメモで終わらせるのではなくすべて原稿としておく方が面白い
練習とか準備とかではなく提出可能な運動の連続としての日々を過ごすという話