「多くの人びとは長さによってしか布地を、目方によってしか品物を、華麗さによってしか色を評価しない。」
フローベールの『芸術と商業』を今読み始めたが、一行目でもうおもろい 「芸術の無益さと商業の有益さは世上陳腐の対語となった。事実、多くの人びとは長さによってしか布地を、目方によってしか品物を、華麗さによってしか色を評価しない。」
ここまで読んで、確かに本に値段をつけるにも文字数をベースにしがちであることが出てきた。本というのはその一つの塊に対して何らかの価値がありその何らかの価値がお金という指標によって表現されることもある、というのが本と値札の関係である。ただ、そこで文字数という客観的な量以外に評価することは難しいように感じがちで、じゃあそれらの価値は何をよりどころとしているのか。
この辺りの問題に関して吉本隆明は言語として文学の価値を考えていった。それも一つの考え方で、そういったいろんな人による考えを踏まえて個人としてそれをどう評価するのか、という自分のルールや法則を構築していくのがいいのだと思う、それなしには客観的な量、フローベルが言うところの「きらびやかな色や布の長さ」でしかものを評価できないということになり、実際にそれが持つ価値、そもそもで言えばそれ自体があるのかどうか、それは何を指しているのかも含めて、数値や指標以外にそれらが持っているエネルギーを感じ取れない。 感じ取れないということは生み出せないということでもあり、自分が作るものを自分自身がどこをどう評価しているのかすらわからなくなる。分からなくなれば不安になり迷うのだから作り続けられない、それを媒介とした外部とのコミュニケーションがなくなっていく。