電信の時代
汽船の時代が来るより先に電信の時代が来た
大東電信会社
イースタン・テレグラフ・カンパニー
大北電信会社
図 1891年の主な電信線
https://gyazo.com/8a08936c7e84d44b3047f410f959a549
アジアへのルート
レニングラード、モスクワからロシアを横断してウラジオストクへのルート
黒海からインドを経由して香港、上海へのルート
地中海からスエズを経由してインド、香港、上海へのルート
「吠える40度」地域への電信網
「大西洋はヨーロッパの内海だった」
日本の電信の幕開け ―江戸末期から明治にかけて、
日本は世界の国々とどのようにして結ばれていったのか
モールス電信機 誕生物語
植民地化を防いだ電信網整備
大英帝国と電信ネットワーク
-19世紀の情報革命-
https://gyazo.com/42790f8cbd5b353b0ffef96ef3df16ce
明治時代の情報処理技術とネットワーク戦略
-日露戦争(日本海海戦)を中心に-
三井物産における電信利用
大北電信会社について詳述する。19 世紀半ば、大西洋を横断する海底電線の敷設が当時の技術力の点から成功しなかった。欧米間の電信敷設では、シベリア(ロシア)・ベーリング海峡・アラスカ経由の電信建設がアメリカ系企業によって計画され、1865 年から工事が始められた。しかし、その工事竣工に先立って、1866 年に大西洋横断の海底電線による電信が成功に至り、前述の大陸迂回線は、設備そのものはロシア政府が継承したものの、計画の継続は放棄された。この時、デンマークの事業家ティーツゲンは、大北電信会社を1869 年に設立し、ロシア政府に働きかけてロシア内に横断的に敷設された電信の利用認可を得た。彼の事業計画は、ウラジオストクから日本および中国に海底電信を敷設し、ウラジオストクにおいてロシア横断線と接続して欧州と極東との間の電信取り扱いを独占的に行うものであった。