雑誌は時代精神をつくり出すヴィークル
時代精神をつくり出すヴィークル
2022/1/11
カウンターカルチャーに多大なる影響を与えた雑誌『Whole Earth Catalogue(WEC)』が定期的に発行されていたのは1968〜72年の4年間だけだった、という事実にはいつも驚かされる。WECが蒔いた種は2つの幹に分かれ、ひとつは環境運動に、もうひとつはハッカー文化に結びつくことで、現在に至るまで多くの影響を与え続けてきた。
Whole Earth Catalogue
WECのように数年で終わったにもかかわらず、ある世代の人々とカルチャーに強烈な影響を与えた雑誌というのはほかにもある。たとえば2000〜10年にかけてつくられていたデザイン雑誌『Dot Dot Dot』や、2011〜18年まで運営されていたタヴィ・ゲヴィンソンによるティーンエイジャーのためのオンラインファッションマガジン『Rookie Mag』はその一例で、ぼくはこうした「伝説の雑誌」のエピソードが大好きだ。雑誌はときに、時代精神をつくり出すヴィークルになる。
雑誌はときに、時代精神をつくり出すヴィークルになる
なぜ雑誌が終わってからも影響を与え続けるのかといえば、それが読者と一緒に歳をとるメディアだからだろう。
読者と一緒に歳をとるメディア
ケヴィン・ケリーやルトガー・ブレグマンをはじめとした多くの人たちが「ニュースを見るな」と言うけれど、ではどんな情報に触れていたいかといえば、読み手としても、つくり手としても、ぼくは「生きている」メディアのつくり出すものに触れていたい。
「ニュースを見るな」と言うけれど、
時事問題のたぐいは月並で不愉快なものかもしれないけれど、前に進むにしても、後に退くにしても、とにかく自分がどこに立っているかを、わからせてはくれる
そして、古典を読んで理解するためには、自分が「どこに」いてそれを読んでいるかを明確にする必要がある
さもなくば、本自体も読者も、時間から外れた雲のなかで暮らすことになるからだ
古典をもっとも有効に読む人間は、同時に時事問題を論じる読物を適宜に併せ読むことを知る人間だと私がいうのは、こういった理由からである
本というのはビークルだと思うし、どうせ乗るならバカっ速いヤツに乗りたい。そういうこと