集団浅慮
集団浅慮
(当時のドイツの状況に関する文献を引用して) …これらのどれもが真実であるとは思うが、私はここに全体像として もう一言つけ加えたいと思う。それは、これらのさまざまな憶測と可能性にもかかわらず、 ほとんどのドイツ人は (ユダヤ人収容所について) 知りたいとは思っていなかった。 いや正確にいえば、知りたくないと思っていたのだ。 … ヒトラー時代のドイツでは、ある暗黙の了解があった。 それは、知っているものは語らない。知らないものは尋かない。 そして尋いたものには答が与えられないというものである。 これらの了解によって一般のドイツ市民は無知を獲得し、 自分はいま庭先で起こっていることの共犯者ではないという幻想を 守りぬいてきたのだと思われる。
この一言はとても要点をついている。 新山はときどき、ある事件・情報について 「オレはこのことについては知りたくないのだ」と 明示的に避けるときがある。そのことについてすでに自分が まったく共犯的 (←なにこの形容詞?) でないときならかまわないが、 自分がその責任の一部でも負っている場合はたんなる逃げだよな。 こういう willful ignorance とでもいうべき状態をとっている人は いまの時代は非常に多いと思われる。結局のところ、いくら情報に アクセス可能になっても、そもそもアクセスする意志がない人には 何を言ってもムダなのだ。こういう視点で世の中をみるといつも非常に落ちこむね。 新山は日本のテレビを見ないのだが、 はたしてこれは willful ignorance の一種なのだろうか。 どうだかな。
米国の心理学者、アーヴィング・ジャニスが1982(昭和57)年に「集団思考(group think)の課題を「集団思考の8つの兆候」というタイトルで8項目に区分整理し提示しました。この提示をするのに、アーヴィング・ジャニスは色々な場面での「集団思考」の例を調査しました。その調査対象中には、歴史的な失敗例とされる、真珠湾の爆撃/朝鮮戦争での38度線突破の決断/キューバでの反革命軍のピッグス湾侵攻などが含まれています。これ等事例の分析・調査からアーヴィング・ジャニスは、高度の団結・連帯・忠実という特徴を備えている集団について「集団思考の8つの兆候」を見いだしました。 http://pe.techno-con.co.jp/technovision/series/back9_1507d.html 「集団浅慮」という言葉は1970年代の初めに、アーヴィング・ジャニスが広めた。集団浅慮とは、集団の全員が同じ考え方をするようになって、異論を唱える者や批判的な立場を取る者がいなくなり、その結果として、集団が非常に危険な意思決定を下してしまう現象をいう。
マインドセット:「やればできる!」の研究 | キャロル・S・ドゥエック 第5章 ビジネス ― マインドセットとリーダーシップ 「集団浅慮 VS みんなが考える」
「我々は考えを一つにまとめることはしなかった。我々は目的を一つにまとめた。そして合意し、次に決定した」。
第6章 進むべき道を実験する 「確信ではなく可能性に耳をすます」