金素雲、金子文子、朴烈
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当時、上野には降旗新聞店という販売店(捌き売所)があった。ここは「蛍雪学舎」と称して苦学生を住み込みで働かせるシステムを持っていた。文子も「苦学奮闘の士は来(きた)れ」という張り紙を見て、ここに就職する。降旗新聞店(『何が私をこうさせたか』では「白旗新聞店」となっている)の主人は、「女子は続かないからねえ」と渋るのだが、文子は主人を説得し、上野でも一番稼ぎが良い三橋の売り場を担当させてもらう。午前中は研数学館で数学を、昼から午後3時までは正則英語学校で英語を学び、4時半から夜中の12時まで上野で新聞を売る。これが、17歳の文子が立てた計画だった。ちなみに、研数学館と正則英語学校という組み合わせは苦学生のスタンダードだったらしく、田中角栄も同じコースで勉強していたと記録にある。
結局、新聞を売りながら学業を収めることは難しすぎ、彼女はこの販売店に何か月かいただけで辞めている。その後いくつかの仕事を転々とし、やがて、苦学で我が身一人の出世を図るのは自分の道ではないという決心を固めていく。そんな折に朝鮮苦学生たちと出会い、その中の一人・朴烈と恋仲になっていくのだ。
ところで、金子文子がやめたその降旗新聞店に、翌1921年、一人の朝鮮人の少年がやってきた。名を、金素雲(キム・ソウン)という。韓国文学に縁のある人で彼を知らない人はまずいないだろう。詩人・翻訳家・随筆家・編集者・民謡採集者・出版人として、韓国と日本双方で幅広く活躍した人だ。日本語の使い手としては一流という範囲を超えており、みごとな翻訳の他に、日本語による多数の随筆を書いた。
戦前、北原白秋に絶賛され、岩波文庫に『朝鮮詩集』『朝鮮童謡集』『朝鮮民謡集』の3冊、岩波少年文庫に『ネギを植えた人』という民話集を残した。これらはいずれも類いまれなロングセラーになり、韓国文化の日本への紹介者として、文字通りの第一人者であったと言える。
その金素雲が上野で新聞を売っていたのは、なんとまだ13歳のときである。
先回も引用した『何が私をこうさせたか』は、朴烈・金子文子の裁判を担当した予審判事の依頼によって書かれた記録をもとにしている。それが本人の強い希望によって本になり、春秋社から1931年に出版された。強い希望というのは、「世の親たち、そして社会をよくしようとしておられる教育家、政治家、社会思想家にもこれを読んでもらいたい」という願いだった。
何が私をこうさせたか
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この本を読むたびに目が惹きつけられてしまうのは、冒頭に置かれた「添削されるについての私の希望」という、メモのような文章である。次のようなものだ。
一、記録外の場面においては、かなり技巧が用いてある。前後との関係などで。しかし、記録の方は皆事実に立っている。そして事実である処に生命を求めたい。だから、どこまでも『事実の記録』として見、扱って欲しい。
一、文体については、あくまでも単純に、率直に、そして、しゃちこ張らせぬようなるべく砕いて欲しい。
一、ある特殊な場合を除く外は、余り美しい詩的な文句を用いたり、あくどい技巧を弄したり廻り遠い形容詞を冠せたりすることを、出来るだけ避けて欲しい。
一、文体の方に重きを置いて、文法などには余りこだわらぬようにして欲しい。
これは、編集を担当した同志の栗原一男に送られた、いわば事務連絡だ。栗原の考えで本に収録されたのだろう。彼の判断によってこの短いメモが後世に残されたことは、本当にありがたいことだったと思う。
では、金素雲とはどんな仕事をした人なのだろう。
彼は韓国と日本の両方で、戦前戦後を通じて多くの文学作品を翻訳し、編纂し、また執筆した。達意の日本語で記した随筆は今でも大いに読む価値がある。また、出版者としても志を持って働いた。
いま日本で、現役として流通している彼の本としては、岩波文庫の『朝鮮民謡集』と、岩波少年文庫の『ネギを植えた人』がある。
朝鮮民謡集
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ネギを植えた人
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ともあれこのようにして金素雲はパスポートを失い、ようやく取り戻したのが13年後の1965年。もう57歳になっていた。以後、韓国語・日本語の両方で旺盛に随筆や自伝などを書き、韓日辞典を編纂し、また『現代韓国文学選集』(冬樹社)全5巻を個人全訳した。一人でよくここまで、と思うほどたくさんの仕事をした人である。
金素雲の味わい深い随筆の数々はいま、残念ながら古書や図書館でしか読むことができない。それは、たぐいまれな優れた日本論でもあるのだが。