贈与と聖物
贈与と聖物
電気も通っていない村で、公民館でのダンスパーティを抜け出した飲み足りない仲間3人(著者をふくむ)は、ラム酒を片手に他愛もない会話に興じていた。そのとき、風が運んでくる村人たちの歌声は「隠れて飲み食いするものに、死を!」と囃(はや)し立てていた。たんなる儀礼歌の一節なのだが、胸にずしりときた3人は集会の場に戻ったという。他人と分かちあう共食の慣行がある社会では、こっそり自分たちだけで会食することは倫理にもとるらしい。
ここには飲食というふるまいが他者との分かちあいであり、さらには自分の手に入れたものの一部を他者に与えるということにもなる。そこから「贈与」にまつわる人類学者M・モースの「贈与論」が浮かび上がってくる。たとえば、北米先住民のあいだにある「ポトラッチ」という贈与の祭宴にふれながら、この語が「食べ物の与え手」「飽食するところ」という意味合いをもつことに注目する。 目次
プロローグ
第1部 マルセル・モースにおける〈贈与〉の世界
第1章 「贈与論」の意義と構想
第2章 「贈与論」におけるパラドクス
第3章 〈贈与〉と〈交換〉,あるいはポトラッチとクラ 第4章 〈贈与〉・〈交換〉・〈譲りえぬもの〉
第2部 マダガスカルにおける〈譲りえぬもの〉の世界
第5章 遺体を同化する
第6章 祖先と向きあう
第7章 クロノロジーを刻む
第3部 〈贈与〉と〈譲りえぬもの〉のあいだ
第8章 〈家〉と〈譲りえぬもの〉
第9章 〈贈与〉と〈譲りえぬもの〉のあいだ
エピローグ
あとがき
https://gyazo.com/12e1c6752bd2ac10a4fd90ab5fff747e
NDC(10版)
389 : 民族学.文化人類学