芭蕉入門
芭蕉入門
目次
1 芭蕉までの俳諧
2 連句の詠み方
3 芭蕉の生いたち
4 江戸で俳諧宗匠になる
5 深川隠退と蕉風の樹立
6 『野ざらし紀行』の旅へ
7 帰郷
8 『冬の日』の歌仙成る
9 江戸での風流自足
10 俳諧隠者として名声があがる
11 『笈(おい)の小文』の旅へ
12 芭蕉の反省と『更科紀行』の旅
13 風流世界の理想図・『奥の細道』
14 『奥の細道』の旅
15 歌枕探訪と不易流行論
16 『奥の細道』の登場人物
17 『奥の細道』の人間と自然
18 『奥の細道』の旅をおえて
19 「行く春を近江の人とおしみける」
20 新しみの追究
21 『嵯峨日記』と『猿蓑』
22 江戸で「軽み」の俳諧を道める
23 終りの旅へ
24 終焉
25 芭蕉略年譜
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2017
読書、「おくのほそ道」に続いて、井本農一「芭蕉入門」読んでいる。普段は解説書、読まないようにしてるんだけど。で、すごく薄い文庫本なんだけど全然読み終わらない。読書、完全にペース落ちてるけど、じゃあ全然ダメな感じかっていうとそうでもない。発見はある。
「おくのほそ道」、旅行記なのに情景とか景色とか「今」見ているものについて全然触れてなくて(あくまで芭蕉が旅したそのときの「今」のこと)、ひたすら古跡、歌枕を巡っていて、その場所の有様が変わってしまったことを悲しんだり、全く変わっていないことに驚嘆したり、っていうひたすら「過去」と向き合う感じになっている。「過去」というか「古典」、「伝統」。文章も引用とか掛句になってて、自分の言葉というよりは何かの引用を切り貼りしているみたいな感じ。
「芭蕉入門」ではこの「おくのほそ道」での芭蕉の姿勢について「物を理解するためには自分を空にして、対象に沈潜して全面的に埋没しなければならない。始めから批判的に対象に対したのでは、理解することは出来ない。対象と一体にならなければならない」と言っている。この姿勢についてはなんか見たことある、と思ったのだけれど、それはプロレスの話だった(その話はまた改めて)。
プロレスの話
@taizooo: 最初から批判的に事に当たるのは、効率的に勝利をもたらすかもしれませんが、物事を理解することはそれとは異なります。 @taizooo: と、いうエッセンスが「芭蕉入門」の「『奥の細道』の旅」の章にありました。