自分たちの祝祭
自分たちの祝祭
18世紀の奴隷たちは自分たちの神を崇拝することも、フランス人や英国人の主人が催す四旬節前の仮面舞踏会に参加することも禁じられていた。そこで彼らはアフリカの伝統と習俗を欧州の入植者の祭儀に溶け込ませ、自分たちの祝祭をつくり上げたのだ。
現在、聖体祭や公現祭、死者の日といったキリスト教が由来の祝祭は、黒人奴隷の子孫が暮らす地域ごとに多彩な様式をもち、場合によっては祭日も異なることがある。
だが、その祝い方には共通点がある。カラフルで大胆な衣装を身に着けた人物たちが、キリスト教や先住民の視点を融和させ、生気あふれる反逆の祭儀を生み出すのだ。飾り立てた仮面の下に社会的な地位を隠し、お祭り騒ぎのなかで不満を爆発させる。そしてハイチのような土地では、派手な祝祭を背景に、政治や社会の変革を訴えるのだ。