肝心なのは厳しいフィードバックの中から真実を見出せるようになることだ
肝心なのは厳しいフィードバックの中から真実を見出せるようになることだ
こうした辛辣な言葉を投げかけられた人は、もっと穏やかな表現で批判された人よりも深く傷つくに違いないと、筆者は直感的に思っていた。だが、驚いたことに、表現の厳しさにかかわらず、相手のフィードバックに圧倒され、動揺するレベルは変わらないことが、今回の調査でわかった。
また、批判的なことを言われても、相手に食ってかかった人がほとんどいなかったことも驚きだった。
きついことを言われた直後の感情として、90%近くが「あぜんとした」「あきれた」「ショックだった」「愕然とした」「頭が真っ白になった」と答え、40%が「恥」関連の感情を持ったと答えた。「面目がなかった」「自分が無価値だと思った」「傷ついた」「悲しかった」「自信を失った」などである。一方、「怒り」「裏切り」「暴力」など、感情の矛先が相手に向かった人は15%しかいなかった。
なぜ、穏やかな表現の批判でも、攻撃的なコメントと同じくらい大きな苦悩をもたらすのか。
それは私たちがみな、承認を切望しており、真実を恐れているからだ。批判的なフィードバックがトラウマ的に感じられるのは、それが私たちの最も根本的な心理的ニーズ、すなわち安全(身体的、社会的、または物質的な安心感)と価値(自尊心、自己愛、または自信)を脅かすからである。
私は長年、人が厳しいフィードバックを受け入れるのを助ける最善の方法は、そのフィードバックの伝え方を変えることだと考えていた。だがいまは、それは間違いだったと確信している。肝心なのは、物事を「正しく」伝える方法を考えることではなく、どのように伝えられようと、厳しいフィードバックの中から真実を見出せるようになることだ。
そのために必要なのは、誰もが自分の安全と価値に対して、みずから責任を負うことである