禅と言葉
私は瞬時に了解した。彼 —— 京極堂は、多分、一番禅と遠いところにいる人間なのだ。彼の方法論では何か障害があるのに違いない。それは ——
「それは言葉か」
「そう —— かな」
京極堂は頷いた。
「宗教には神秘体験が必要不可欠だ。しかし神秘体験と云うのは絶対に個人的認識なのだ。仮令どれ程凄い体験であろうとも、神秘は凡て個人の脳内で解決できてしまうものだ。その神秘体験を何等かの説明体系を用いて個人から解き放ち、普遍的なものに置き換えると宗教が生まれる。つまり神秘を共有するために、凡ての宗教は道具 —— 言葉を必要とするのだ」
「禅は —— 違うのだな?」
「そう。禅は個人的神秘体験を退け、言葉を否定してしまう。禅で云う神秘体験とは神秘体験を凌駕した日常のことを指すのだ。つまり、数ある宗教の形の中で、殆ど唯一、生き乍らにして脳の呪縛から解き放たれ、、、、、、、、、、、、、、、、、、ようとする法が禅なのだ」 「脳の —— 呪縛?」
「そうだ。勿論脳は躰の器官に過ぎない。しかし悲しいかな、我我は我我を取り囲む外側の世界をもまた、脳を以てしか識ることができないのだ。外側すらも内包してしまう、それが脳と云う化け物だ。そして言葉は脳が外側を取り込んで改竄再編集するために生み出した記号だ。この言葉を用いないと云うことは、脳を無視した世界認識をすると云うことに等しいのだ。我なくして世界はあらず、同時に我なくして世界はあり —— その二つの真理を同時に識ることが悟りだ」
「君は呪術の基本は言葉だと云ったな?」
「ああ —— そうだ」
「じゃあ禅に呪術は利かないのか?」
「呪しゅはね、脳が仕掛ける罠だ。だから遍く脳の中だけで有効だ。そして人為的な呪 —— 呪術は、言葉や呪物を用いずしては絶対に成り立たない。しかし、禅の半分は脳の外側にあるのだ。だから —— 」 「利かない —— のだな」
「そう云う意味では禅は仏法のある側面での完成形と云える。本当の意味で人間を越えたものと接することができるのは —— ああ、こう云う表現を使うから勘違いする馬鹿が出て来るんだな。この段階で —— 僕は既に負けている」
慥かに禅は、言葉を操り蠱物まじものを繰り出す陰陽師如きに手の出せる領域ではnないのだ。
不良文字の四文字で京極堂は既に否定されているのである。
己には荷が勝ち過ぎている、分不相応な闘いはするなと、彼の師は諭したのだ。
今度ばかりは ——
京極堂に勝てる訳がないのだ。