神曲
神曲
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概要
『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)は、13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。
イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史上でも極めて重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。
俗語( not ラテン語)で書かれている
地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。
聖なる数「3」
『神曲』は、三部から構成されており、各篇はそれぞれ34歌、33歌、33歌の計100歌から成る。このうち地獄篇の最初の第一歌は、これから歌う三界全体の構想をあらわした、いわば総序となっているので、各篇は3の倍数である33歌から構成されていることになる。
3の倍数である33歌から構成されている
また詩行全体にわたって、三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型が用いられている。各行は11音節から成り、3行が一まとまりとなって、三行連句の脚韻が aba bcb cdc と次々に韻を踏んでいって鎖状に連なるという押韻形式である。
三行を一連とする「三行韻詩」あるいは「三韻句法」(テルツァ・リーマ)の詩型
各歌の末尾のみ3+1行で、xyx yzy z という韻によって締めくくられる。したがって、各歌は3n+1行から成る。
このように、『神曲』は細部から全体の構成まで作品の隅々において、聖なる数「3」が貫かれており、幾何学的構成美を見せている。ダンテはローマカトリックの教義、「三位一体」についての神学を文学的表現として昇華しようと企図した。すなわち、聖数「3」と完全数「10」を基調として、1,3,9(32),10(32+1),100(102,33×3+1) の数字を『神曲』全体に行き渡らせることで「三位一体」を作品全体で体現したのである。 ローマカトリックの教義、「三位一体」
あらすじ
ユリウス暦1300年の聖金曜日(復活祭前の金曜日)、暗い森の中に迷い込んだダンテは、そこで古代ローマの詩人ウェルギリウスと出会い、彼に導かれて地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回る。 ウェルギリウス
ウェルギリウスは、地獄の九圏を通ってダンテを案内し、地球の中心部、魔王ルチーフェロの幽閉されている領域まで至る。 そして、地球の対蹠点に抜けて煉獄山にたどり着く。ダンテは、煉獄山を登るにつれて罪が清められていき、煉獄の山頂でウェルギリウスと別れることになる。 そして、ダンテは、そこで再会した永遠の淑女ベアトリーチェの導きで天界へと昇天し、各遊星の天を巡って至高天(エンピレオ)へと昇りつめ、見神の域に達する。 構成
地獄篇 (Inferno)
地獄界の構造
煉獄篇 (Purgatorio)
七つの大罪
煉獄は、地獄を抜けた先の地表に聳える台形の山で、ちょうどエルサレムの対蹠点にある。「浄火」あるいは「浄罪」とも言う。
永遠に罰を受けつづける救いようのない地獄の住人と異なり、煉獄においては、悔悟に達した者、悔悛の余地のある死者がここで罪を贖う。
煉獄山の構造は、下から昇るごとに幾つかの段階に分かれている。亡者は煉獄山の各階梯で生前になした罪を浄めつつ上へ上へと登り、浄め終えるとやがては天国に到達するのである。
ウェルギリウスに導かれて山を登り、生前の罪を贖っている死者と語り合う。ダンテは煉獄山を登るごとに浄められ 天国篇 (Paradiso)
天国界の構造
文学的評価
また今日の評価からすると驚くべきことかもしれないが、ルネサンスが終わりかけに入る頃、ダンテも『神曲』もほとんど言及がなくなる。後輩格のペトラルカやボッカッチョがその他ヨーロッパ文学に与えた影響に比べると明らかに寂しい。例えばフランスの古典主義文学は完全に『神曲』を無視して成立している。 19世紀初頭、イタリアのロマン主義詩人アルフィエーリは、イタリアにおいて『神曲』はほとんど読まれていないと語り、スタンダールもイタリアでダンテは軽蔑されていたと書いている。ゲーテはこの作品の偉大さを理解していたものの、その苛烈な表現に不快感を示し、批判している。 19世紀半ばからロマン主義運動とナショナリズムが高揚するにつれて、ダンテは注目されることになり再び読まれ研究されることとなった。 そして20世初めにホフマンスタールやT・S・エリオットら詩人や作家によって、半ば神格化されて今日の評価に至るのであり、永続的な高評価を受けてきたわけではないことに留意する必要がある。