痛みの定義
痛みの定義
IASP
「The International Association for the Study of Pain (国際疼痛学会)」
現在の定義
An unpleasant sensory and emotional experience associated with actual or potential tissue damage, or described in terms of such damage.
実際の組織損傷が起こった時、組織損傷が起こりそうだと感じた時、またはそのような損傷の描写表現に触れたときに内から湧き上がる「不快である」という感覚もしくは感情のこと (注: 意訳)
注釈(Note)箇所を読んでみると、「患者が言葉を発することができないからといってその人が痛みを感じていない、疼痛軽減のための介入が必要がないというわけではない」、「痛みは常に主観的なものであり、人生初期にケガなどを通じてその言葉の持つ意味を学んでいく」「この定義では痛みを刺激と結びつけることは敢えてしていない。多くの疼痛経験は器質的な損傷を伴うが、そうでない場合でも本人が同じように痛いと感じているときは間違いなくそれは痛みなのである」など、非常に興味深く、個人的には頷ける文章が並んでいます。しかし、ところどころ確かに古い知見に基づくものだなと感じる箇所はあり、近代の疼痛の理解とは少しずれているかなとも感じます。この「現在」の定義が発表されたのは何しろ1979年なので、当たり前と言えば当たり前なのですが。いや、寧ろ、その時代にこの定義が提唱されたということは画期的革新的という表現では足りないくらい様々な研究者、臨床家の熱い想いが詰まったものだったのかもしれません。
提案されている新しい定義
An aversive sensory and emotional experience typically caused by, or resembling that caused by, actual or potential tissue injury.
実際に起こった、または起こりそうな組織損傷がある際に起こる、または起こるものに酷似した、逃げたい避けたいという衝動を掻き立てられるような感覚且つ感情的経験のこと (注: これもこりずに意訳)
注釈には「痛みは生物的、心理的、社会的要素に様々な栄養を受ける主観的経験である」「疼痛と侵害受容(nocoception)は異なる現象である: 疼痛経験は単なる感覚経路刺激ではない」「人間は人生経験を通じて疼痛というコンセプトとそれが持つ意味を形成していく」「だからこそ、個人の疼痛経験はその人の人生経験とその表れとして受け入れられ、リスペクトされるべきものである」「痛みは環境適応に重要な役割を果たす一方で、人間の機能、社会・心理的well-beingに悪影響を及ぼしてしまう可能性もある」…など書いてあります。前回との大きな違い、というか、明確にしようとしている点は「Pain and nociception are different phenomena: the experience of pain cannot be reduced to activity in sensory pathways」というところでしょうか。そして、各個人の感じる痛みはそれぞれの人が形成した学びの結果であり、受け入れられ、尊敬されるべきだという表現も胸に残ります。この新しい定義は画像診断などの結果「なんでもありません」「痛いはずがありません」「気のせいでは」「甘えなんじゃ」と言われ、苦しんだであろう過去の数多くの患者さんの訴えを改めて認めるもの、そして未来の患者さんの多くを救うものであってほしいですね。