生きるとか死ぬとかワクチンとか
生きるとか死ぬとかワクチンとか
老人にとって、生きると死ぬを隔てる被膜は想像以上に薄い。次から次へと出てくる健康法に飛びつくのは、単にヒマだからではない。死ぬことのリアリティが鮮烈なのだ。
死ぬことのリアリティが鮮烈なのだ
予約開始日の2日後、かわいそうな象が想定外の自発性を発揮した。LINEを開くと「自得体(ママ)の集団接種の予約が取れました。2日違いで混乱なく予約できました」とあった。「自得体」というのは自衛隊のタイプミスだろう。誰かに助けてもらったのかもしれないが、父が大規模集団接種の予約を自ら取ったのだ。ハレルヤ! 素晴らしい。やればできるではないか。
ハレルヤ
ワクチン接種には2回目がある。まったく同じプロットの寸劇を、もう一度やる覚悟が私にはあった。1週間後、父から電話がきた。