現在は、もう、ポスターやテレビや新聞や雑誌や図鑑を写真に撮ることはアナーキーでもなんでもないことだ
現在は、もう、ポスターやテレビや新聞や雑誌や図鑑を写真に撮ることはアナーキーでもなんでもないことだ
2007/8
現在は、もう、ポスターやテレビや新聞や雑誌や図鑑を写真に撮ること(コピーすること)はアナーキーでもなんでもないことだよな。
もちろんウェブを、モニタを写すことだって同じだ。
kzysが、俺が賞にこだわってるみたいなこと言ってたけど、全然わかってなくて、そのコンテキストを利用することで、その(古い)コンテキストに無理に(新しいものを)当てはめて考えることで、二つの差がわかると思って言ってんだよ。 「メディアアートやったらどうですか?」ってyoupyに言ってみたけど、もちろん本気で言ってなくて、答はまぁ雰囲気で元からわかってて、じゃぁなんでそう考えるか、そのコンテキスト(メディアアート)とその上に乗るもの(youpyの表現)の差異はなんなのかが知りたくて、考えたくて質問してる。 Tumblrでもウェブでもなんでも、それを、撮って、印刷すりゃ、写真なんだよ、未だに。 撮って印刷しないものは写真じゃないし、撮らないし印刷もしなければもっと写真じゃない。
わけわかんないけど、そうなんだよ。
自分で、写真を、実際に、撮ること。
選ぶこと。
ただこれを進めて、他人が選択した全てを、自分が選択したことにする、となると、さすがにそれは違うと思う。
なんか、僕は写真の人じゃないから、「写真」というものにこだわりはなくて、ほかの全部が、そんな感じなんだよなと思ってるってこと。
80'sから20年経って、そういう病が再発してるのか?
それとも状況(ウェブなど)の変化による新しい問題か?
(両方だと思うんだけど)