現代貨幣理論(MMT)入門
現代貨幣理論(MMT)入門
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本稿『現代貨幣理論(MMT)入門』は、筆者(ビル・ミッチェル)が2022年11月5日に京都大学で行った講演に基づいている。
2.通貨システムの進化
1971年8月に起きた歴史的大事件によって、通貨システムの仕組みは変わり、公共支出や債務に関するマクロ経済学の教科書的知識の多くが無駄になった。第2次世界大戦が終結すると、通貨を安定化させるための国際通貨システム(固定相場制、ブレトン・ウッズ体制)が1946年に誕生したが、リチャード・ニクソン米国大統領が1971年8月に米ドルと金(きん)の兌換を放棄したことで、このシステムは事実上崩壊した。
ニクソン・ショック(ドル・ショック)とは、1971年8月15日(日本標準時1971年(昭和46年)8月16日)にアメリカ合衆国連邦政府が、それまでの固定比率(1オンス=35ドル)による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止したことによる、世界経済の枠組みの大幅な変化を指す。当時のリチャード・ニクソン大統領がこの政策転換を発表したことにより、ニクソンの名を冠する。
それまでは、金と交換できる唯一の通貨がアメリカ合衆国ドルであり、それ故にドルが基軸通貨としてIMF(国際通貨基金)を支えてきたのがブレトン・ウッズ体制であった。ところが、ドルの金交換に応じられないほど米国の金保有量が減ったことにより、戦後の金とドルを中心とした通貨体制を維持することが困難になったこと、そしてこの兌換一時停止は諸外国にも事前に知らされておらず、突然の発表で合ったことなどから、ショックと呼ばれ、極めて大きな驚きとともに、その後の世界経済に大きな影響を与えたことによる。
ブレトン・ウッズ協定(ブレトン・ウッズきょうてい、英語: Bretton Woods Agreement)とは、第二次世界大戦中の1944年7月1日から22日までアメリカニューハンプシャー州ブレトンウッズのマウントワシントンホテル(英語版)で開催された連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定の総称。
「アメリカ合衆国ドルを基軸とした固定為替相場制」であり、「1オンス35USドル」と「金兌換」によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替レート)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。この体制は1971年のニクソン・ショックまで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。この協定に基づいて確立した体制のことをブレトン・ウッズ体制という。