牛を球と仮定します
物理学者と工学者と心理学者の三人が、生産の思わしくない酪農場にコンサルタントとして招かれた。 三人はまず経営状況を詳しく調べる時間を与えられたのち、順番に呼ばれて意見を聞かれることになった。
工学者
最初に呼ばれた工学者はこう述べた。
「牛舎の仕切りをもっと細かくすべきです。 牛をきっちり詰め込んで、一頭あたり八立方メートルくらいにすれば、効率が上がるでしょう。 それから、搾乳管の直径を四パーセントほど大きくして、牛乳の平均流量を増やすことです」
心理学者
次に呼ばれた心理学者は、こう提案した。
「牛舎の内側は緑色にして下さい。 緑は茶色よりも気分を穏やかにしますから、乳の出がよくなるはずです。 それから牧草地にもっと木を植えて、牛が草を食べるときに退屈しない風景にして下さい。」
物理学者
最後に物理学者が呼ばれた。 彼は黒板を用意してくれと頼み、円をひとつ描いた。
「まず、牛を球と仮定します」
「関係ない」ことと「切り捨てろ」
ここには重要な言葉が二つ含まれている。 「関係ない」ことと「切り捨てろ」だ。 関係ないことを切り捨てるというのは、この世界のモデル(それがどんなものであれ)を作るための最初の一歩であり、人間は生まれた時からそれをやっている。 ところが意識的にやるとなると、これがけっこう難しいのだ。 「不要な情報も捨てたくない」という自然な欲求に打ち勝つことは、物理学を学ぶうえでもっとも重要、かつ困難なことなのかもしれない。 しかも、与えられた状況のなかで何が「関係ない」ことかは、あなたが何に興味をもつかによって異なってくる。 そこで重要になるのが、「切り捨てる」という二番目のキーワードだ。