暇と退屈の倫理学
暇と退屈の倫理学
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文庫本化&キンドル化
2021/12/23 購入
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『暇と退屈の倫理学』(2011年刊)の続篇として、著者・國分功一郎さんは、『欲望と快楽の倫理学』を構想しています。
その助走として、本増補新版は、新たな読者に向けて(価格を大幅に下げて)刊行されます。
『暇と退屈の倫理学』旧版刊行後、多くの書評に恵まれ、哲学以外の分野との連携を深めていった著者は、テレビやラジオ・雑誌・講演会・イベント等々で、広く知られるところとなりました。もっとも注目され期待される哲学研究者・若手論客と言えるでしょう。
440頁に達する本書をつらぬく著者の関心は、「人間らしい生活とは何か?」です。
パスカルの有名な断章「部屋にじっとしていられないから、人間は不幸を招く」を皮切りに、文化人類学、考古学、経済学、消費社会論、動物行動学、そして「退屈論の最高峰」と著者が考えるハイデッガーの『形而上学の根本諸概念』を渉猟し、答えに接近します。
平易な文体、熱く勢いある思考が、ポジティブで自由な生の可能性を拓きます。
「私たちはパンだけでなく、バラも求めよう。
生きることはバラで飾られねばならない」
──このウィリアム・モリスの宣言を真正面から受けとめ、現在と未来に生かそうというのです。潑剌と、明るく、しかも、哲学的な根拠をもって、「私はこう考えた。みなさんはどう思いますか?」と問いかけます。
今回の増補新版にあたって、渾身の論考「傷と運命」(13,000字)を付しました。熊谷晋一郎さんとの共同作業の中で、著者が手にした概念が語られます。
目次
増補新版のためのまえがき
まえがき
序章 「好きなこと」とは何か?
第一章 暇と退屈の原理論──ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第二章 暇と退屈の系譜学──人間はいつから退屈しているのか? 第三章 暇と退屈の経済史──なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
第四章 暇と退屈の疎外論──贅沢とは何か?
第五章 暇と退屈の哲学──そもそも退屈とは何か?
第六章 暇と退屈の人間学──トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第七章 暇と退屈の倫理学──決断することは人間の証しか?
結論
あとがき
付録 傷と運命──『暇と退屈の倫理学』新版によせて
注
國分の議論のひとつの出発点となるのは、第二章で紹介される「定住革命」である。人間は元々定住志向ではない、絶えざる「遊動」にこそ向いている、という西田正規の説によりながら、定住せざるを得なくなることで人類は退屈を抱え込んだのだと國分は言う。そこには無理がある、と。この無理を打開するために、今のゆがんだ消費文化が形成されたのだということで、話は経済の話に進んでいく。
本書の芯をなすハイデガーの退屈論についての考察の中に、環世界という概念が出てくる。動物にはそれぞれ固有の知覚の方法があって、その動物固有の空間や時間をつくっているという考え方である。動物は自分をとりまくこの環世界に完全にとらわれている。しかし、人間はちがう。なぜなら、人間はひとつの環世界から別の環世界に移ることができるから。これは別の言い方をすると、人間がどの環世界にも属さずにいられるということである。この無所属の実感が、退屈のひとつの起源をなす。と同時に無所属となることが可能だからこそ、人間は考えることができる。哲学することができる。退屈とは哲学するという行為のきわめて本質的な部分に食いこんだ何かなのだ。