日本のインターネット創世記について思っていること
日本のインターネット創世記について、俄然やる気が出てきている
日本のインターネット創世記、そのころのネットワークがどのようなものだったのか、もうちょっと具体的にはどんな端末を使っていたのか、どんな画面だったのか、とかそういう裏付けというか実感、実体感がないと理解出来ないような気がする
たぶん面白かったと思うのよ。その端末が繋がったサーバーがネットワークに繋がっていて、その先には全然違う場所にいる誰か繋がっているというその感じが。それは自分が tumblr の dashboard で感じたことだったし、
イーサネットボードを自作したり OS にパッチを当てて動くようにしたり同軸ケーブルをマンホールの中で敷設したりというモチベーションは、比べちゃうと全然チャチだけど自分自身が dashboard で全然知らない JavaScript や XPath を弄ってでも、とにかくなんとかしたい、というモチベーションと同じだったんじゃないか、という
意外とその歴史に立ち会った人とかその場にいた人とかって、起きた出来事の全体から見たときの位置とか意味みたいなものには無頓着だったりする 場の中央にいた人にはわからないものがある。たぶん
発展するときには周縁がすごいスピードで広がる。それが中央にいる人にはわからない その歴史に立ち会わなかったからこそ、その歴史のことが理解出来る、ということはある その出来事を経験している人たちは「懐かし~」とかで終わっちゃう。終了
もしくはそのことにもう全然執着がない