文献渉猟いとをかし
文献渉猟いとをかし
歴史とは現在と過去との対話である――(E.H. カー『歴史とは何か』岩波新書,1962年)。
確立された医学知識の背景には,先人の知見と新規性を証明する精緻な作業の積み重ねがある。未解明の事象に挑んだ偉人たちの英知は,身体所見や症状の発見者の名前にちなむエポニム(Eponym)として,現代を生きる私たちの間にも息づいている。
Eponym
文献から歴史を解き明かす手法は臨床疑問の解決や自己研鑽にどう生きるのか。臨床医の清田雅智氏と陶山恭博氏の2人が,文献学(Philology,註1)にヒントを得た医学文献の探索手法と,その醍醐味を語る。
Philology
註1 文献学(Philology)とは,文献を読み解き当時の文化や背景を知ろうとする学問。清田氏は,英語学者・中島文雄氏の『英語学とは何か』(講談社学術文庫,1991年)で提示された文献学の概念に着想を得て,臨床における課題を医学の原典から見いだす手法に援用している。
陶山 清田先生はなぜ,エポニムの由来を文献に求めるのでしょう。
清田 誰がいつ言い出したかを知ることは,症状や疾患の理解に重要だからです。未解明だった時代の人々と同じ土俵で物事を見れば,理解も深まる。それに,新規性を証明する作業が必要な医学的発見は正確な引用の上に成り立っているので,文献学の概念が適用できるはずだと考えました。
陶山 それでSMJNの初出にもこだわったのですね。
清田 ええ。このエポニムを言い出した人物の根拠が不明だったからです。1900年代初頭,メイヨークリニックで外科医William James Mayo(1861~1939年)の手術助手をしていたのが,尼僧で看護師でもあったsister Mary Joseph(1856~1939年)でした。術前に剃毛や消毒をしていた彼女が,臍のそばにしこりのある患者は予後が悪いと気付いたとの逸話があるとされています。英国の外科医Hamilton Bailey(1894~1961年)が著した『Hamilton Bailey's demonstrations of physical signs in clinical surgery』(以下,『Bailey』)のうち私が英国から買った第11版(1949年)には,臍のNoduleについて彼女がMayoに進言したと確かに書かれている。しかしその根拠はなく,私は1927年の初版からたどることにしました。
『Bailey』の初版は世界で4か所所蔵されており,そのうちカナダ・トロント大学の1冊にアクセスでき,さらに第2版以降も,5,8,12~15版と約10年かけて買い集めました。ところが各版を読むとSMJNの記述は初版から1942年の第8版までありませんでした。
陶山 1949年の第11版に登場するまでの間に何かヒントがあると推測できたわけですか。
清田 はい。1940年前後の文献を調べる中で,SMJNのオリジナルは,1928年にWilliam James Mayoが“pants-button umbilicus(パンツボタンの臍)”に言及した論文であることに気付きました3)。この文献にはsister Mary Josephの話は一切出て来ないし参考文献もない。しかし臍の腫瘤は,Virchow's node腫脹が胃がん患者の治癒不能の徴候を意味するのと同様,予後不良を示唆するサインとの記述があり,本質を突いた内容だったのです。
まるで探偵のように解を導き出す作業は実に面白い。周辺情報を地道に探るところから始まる作業は,版管理と西暦,それぞれの出来事が歴史を証明する上で欠かせません。仮説を立てて検証するプロセスは時間軸が重要で,診断に至る流れとも似ています。
note
「論文を手当たり次第読むのではなく、まずはその道の一流と言われる人が書いた成書を読むこと」「知識の幹を作ってから最新の論文に当たるように」。陶山先生が受けた指導は、文献をたどる上で重要なことだと思いました。
https://gyazo.com/ca02dafae3e0f736736050496fed35f4
それはそうと,週刊医学界新聞の記事タイトル「渉猟」「いとをかし」が面白い。ちょっと三中さんが書かれる文章と似たテイストを感じる
「タイトルやアブストラクトを読んだだけの引用では,あたかも正しい情報を載せたと錯覚する恐れがある。一つひとつ読み込み,原典までさかのぼる経験を重ねれば,表面的な情報だけではいかに不十分か気付けるからです」
「後期研修で教えを受けた聖路加国際病院の岡田正人先生にも,「論文を手当たり次第読むのではなく,まずはその道の一流と言われる人が書いた成書を読むこと」「知識の幹を作ってから最新の論文に当たるように」とご指導いただきました。」
https://gyazo.com/31094797d03d4be0810629300a608fd9