憂鬱な計算
憂鬱な計算 depressing math
正直まだあまり実感はないのだけど、来週から約8週間、人生で2度目(そしておそらく最後)の育児休暇を取ることになっている。育児休暇という名称に若干の違和感を感じつつも、普段の仕事から少し離れていつもとは違ったリズムやテンポで家族や子どもたち、そして自分自身と向き合える時間をとても楽しみにしている。
こんなことを考えているときに、以前読んだ「憂鬱な計算(depressing math)」というテーマについて書かれた『ニューヨークタイムズ』の記事を思い出した。著者のティム・アーバンは、縦軸に「年齢」を上から0から90歳まで、横軸に「週」を左から右にかけて1から52週まで記された「A 90-Year Human Life in Weeks(週単位でみる90年の人生)」と題された図表を使い、人の人生は自分たちが思っているほど長くないと説明する。80歳まで生きたとしてもその長さはせいぜい約4000週間で、この図に簡単に収まってしまうと。
https://gyazo.com/f9ead8eb326dc0b5683d3fc04fd7a802
アーバンはこの図表を使い、残りの人生で、特定の行動をあと何回行えるかをおおよそ計算することができるいう。例えば、毎年平均して2日間、両親や兄弟と共に時間を過ごしている人は、今後も好きなだけ一緒の時間を過ごすことができると思うかもしれない。しかし実際には、両親や兄弟と過ごせる日数は1ヶ月にも満たないかもしれない。この「憂鬱な計算」は、大切な家族との時間だけでなく、友人との旅行やお気に入りのレストランでの食事、趣味のスキーなどにあと何回行けるかを知ることにも使うことができる。アーバンは「人間の一生を可視化すると、『数え切れない』と思っている人生の多くの部分が、実は数え切れるものであることがわかります」と書いているが、この記事では憂鬱な計算に対して自分のものさしで優先順位を考え、決断をすることで、未来は変えられると指摘している。
https://gyazo.com/5c7d090210c2c49d97c391ab7eae5749
But perhaps the hardest math to process — and, in turn, the hardest Covid pill to swallow — has to do with our relationships. I grew up spending some time with my parents almost every day. Since turning 19 and moving away for good, I’ve averaged about 10 to 15 days a year with them. If I’m one of the lucky ones, I’ll have quality time with my parents until I’m 60. That means that the day I headed off to college, I had something like 350 remaining parent days total — the amount of time I had with them every year of my childhood.
しかし、おそらく処理するのが最も難しい数学、そして飲み込むのが最も難しいCovidの丸薬は、私たちの結びつきに関係しています。私はほぼ毎日、両親と一緒に時間を過ごして育ちました。 19歳になって離れてから、私は彼らと年に平均10日から15日ほど一緒にいます。私の運が良ければ、60 歳になるまで両親と充実した時間を過ごすことができます。つまり、私が大学に行った日には、合計 350 日間の育児休暇が残っていたということです。これは、私が子ども時代に毎年親と過ごした時間に相当します。
What it boils down to is this: My life, in the best-case scenario, will consist of around 20 years of in-person parent time. The first 19 happened over the course of my first 19 years. The final year is spread out over the rest of my life. When I left for college, I had many decades left with living parents, but only about one year of time left to spend with them.
要約すると、私の人生は、最良のシナリオでは、約 20 年間、直接親と面会する時間で構成されます。最初の 19 は、私の最初の 19 年間に起こりました。最後の1年は私の残りの人生に分散されています。私が大学に行ったとき、両親と何十年も一緒に生きることになるが、両親と過ごす時間は1年ほどしか残されていません。
10年、500回の「木曜日なので」
三年日記、木曜日には決まってかかれる言葉がある。「木曜日なので、夜、実家で食事」。三年間なので約150回の「木曜日なので」が並んでいる。10年ほど前、オヤジが亡くなってからのことだ。それからオフクロは一人で生活している。10年、500回の「木曜日なので」。木曜日の夜、会社帰りコンビニで食事を買い実家で食べ、別になにを話すわけでもなくテレビを見て、そして帰る。日記にはそれ以外のことは書かれなかった。何を食べたか、何を話したか、何のテレビを見たか、どんな表情だったか。全ては余白に隠れている。今年の11月の木曜日が最後の「木曜日なので」になった。なにも残らなかった。しかし確かにその時間はあった。それだけは確かだ。そういうものだ。