思索のために散歩
思索のために散歩
ソシャゲをずるずる続けながらSNS断ちはしている。深夜にPCから少しだけアクセスしているが、スマートフォンからはアプリを消して通知を切っている。まだ無意識に指がTwitterを開こうとする。
スマートフォンもミュージックプレイヤーもない状態で散歩をすることが思索として最も簡単で良い方法であると本に吹き込まれ、マイブックとシャープペンシルだけを持って近所のお山の神社まで散歩。ここ3週間ひたすら蟄居していたため、このちょっとしたハイキングが足腰に厳しく、今まで回っていなかった血液がこめかみをズキズキさせ始める。ふと思いつき、ありきたりなことを理路整然と紙に書く。物事を順序立てて書き出して整頓するという習慣が見についていないため、このありきたりな行いの大切さを知る。書いていこう。