忘却と再生、循環
生と死、出会いと別れ
自分自身のタイムラインを AutoPagerize することはあまり考えたことがなかった。実際にその過程で見たこと感じたことのうち文章に出来ることはほんのわずかでしかない。そして書かれなかったことはまたきっとあっという間に忘れてしまうだろう。それだけじゃなくて書かれたことも忘れ去られてしまう。書くことにはそういうところがある。書いて忘れる。忘れることで先に進む。わたしたちは毎晩毎晩ゆっくりと死んでいて、毎朝毎朝ゆっくりと生まれ直している。そういうものだ。さあ、そろそろ時間です。 http://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2018/12/01/095247 ぜんぜん別の場所にあるものが、重なって見える。いま起こっていることが、いつか体験したことのように感じられる。速すぎてよく見えないけど、出会った瞬間に別れている。それを繰り返している。からだの輪郭が高速に振動して、中と外が入れ替わっている。なんども死んでは、生まれ変わっている https://poem.shikakun.com/benri/ そして、その先の忘却と再生、循環
2014年、その最初にこの ストリーミング / サブスクリプション に感じたことは2018年のいまでもほとんど変わっていない。 FUNKstudy と呼んでいるこの活動は2007年に始まった reblog 世紀と密接に関係していて、それは自分にとって、インターネットが実世界に滲み出して来た現象でもある。あのとき感じていたインターネットは、終わっている一方で、始まってもいるのだ。 /cd/2018ベスト | taizooo