心理学的構成主義と社会的構成主義
心理学的構成主義と社会的構成主義
構成主義の考えは、現在、教育の文献に浸透している。構成主義は、学習理論、教授技術、一般的な教育学のアプローチを特徴づけるために用いられる。構成主義は、知識はいつも人が構成するものであることを意味する。構成主義は、生徒による積極的な参加を促進する必要性を強調するものである。構成主義の2つの主要なタイプ―心理学的構成主義と社会的構成主義―には、重要な教育的な意味がある。心理学的構成主義は、個人の学習に焦点を合わせる。「分析の単位」は、個々の知る人である。しかしながら、社会的構成主義にとって、正しい単位は社会的な集団または文化である。心理学的構成主義と社会的構成主義を比較することによって、構成主義における学びの理論を明らかにすることができる。 https://gyazo.com/7af45e48502d3501a5495292225d5501
プラグマティックな社会的構成主義
1 問題の設定
構成主義についての議論は、アメリカを中心として一般的になっており、教育の研究と実践に多大な影響を与えている。構成主義に共通する命題は、「人間の知識は、すべて構成されるものである」とする考えであり、児童生徒の学習への積極的な参加を強調する。これは、授業における「教師中心」から「子ども中心」へ、「教え」から「学び」への転換を方向づけるものである。
構成主義の2つの立場は、心理学的構成主義と社会的構成主義である。心理学的構成主義と社会的構成主義は、認識論としての構成主義の中に位置づけられる。心理学的構成主義は、「カント的構成主義」に関連している。一方、社会的構成主義は、「言語論的転回」(linguistic turn)と「科学革命」に関連している。 本論文では、心理学的構成主義と社会的構成主義のそれぞれの立場における基本的な考えを比較し、構成主義における学びの理論について明らかにする。
2 認識論としての構成主義
構成主義の見解は、西欧思想における2つの哲学、経験主義と合理主義の流れの中にみることができる。経験主義と合理主義は、ともに外界と内界の二項図式を前提としている。経験主義は外界に事実性があるとし、合理主義は内界に事実性があるとする。経験主義 と 合理主義を統合したのは、カント(Immanuel Kant, 1724-1804)である。 二十世紀の構成主義の認識論は、ポストカント哲学からのアプローチと実証哲学からのアプローチの2つの方向から捉えることができる。ポストカント哲学者のウィトゲンシュタイン(Ludwig JJ Wittgenstein, 1889-1951)は、「言語論的転回」を唱え、クーン(ThomasSamuel Kuhn, 1922-1996)は、「科学革命」を唱えた。ウィトゲンシュタインやクーンは、知識は本質的に間主観的であると捉えている。 2(1)カント的構成主義
カントは、知覚のデータのない概念上の図式は空虚であり、概念上の図式のない知覚のデータは盲目的であるとした。経験的で概念的なこの混合は、カントにとって、個人的、主観的なものではなかった。カントは、空間、時間、因果関係、永久的な対象(実体)の悟性のカテゴリーは経験の前提条件であるとした。これらのカテゴリーは、それ自身は経験されない。それらは、経験を条件とし、最初から経験によって仮定される。カントの「超越的な演繹」の目的は、私たちが共有する世界についての経験の性質を説明するために、悟性のカテゴリーを獲得することを示すことであった。 カントは、構成主義の認識論を「主体」の概念で基礎づけた。彼は、知識は経験とともに成立しているが、経験から生み出されるのではなく、悟性のカテゴリーが主体的に認識を構成すると考えた。カント的構成主義は、現実の認識を意味の構成として捉え、意味を構成する主体を絶対化している。その源は、心身を二元化し主観と客観も二元化したデカルト(Rene ́ Descartes,1596-1650)、構成主義の認識論を「主体」の概念で基礎づけたカントにみることができる。主体の絶対化は、構成主義の根本的な問題である。 4 プラグマティックな社会的構成主義
合理主義と経験主義から現代に至る構成主義の歴史を、図1にまとめた。心理学的構成主義は、「カント的構成主義」に関連しており、主体を絶対化している。 一方、社会的構成主義は、「言語論的転回」と「科学革命」に関連しており、知識は間主観的であると捉えられる。
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