待つことを知る正義
待つことを知る正義
いま、いま、いま、いま、それがいまなのです!(Naandî, naandî, naandî, naandî…nî naandî!)
個人が重要な役割を果たす際に、自らの人格や獲得的能力を覆い隠すことで、強制力の私物化を慎重に排除するメカニズムを、このようにして私はイゲンベ社会に見た。その意味で、イゲンベの仮面は覆い隠す道具であり、同時に〈社会を語る社会〉を促し、育む道具でもある
何をどう見つけて考えて書いても、研究に終点はない。次つぎに新しい研究、新しい発見が現れるからではない。すでに言われていたことに遅れて気づいてしまうからだ。過去の手あとに未来を感知すること、それは「過去は現在と連続した関係にあって未来に影響を及ぼす」と見るディンカの時間世界(監訳者・出口の解説におけるフランシス・デン著の引用紹介)、時間をかけて「予言らしく」なっていくヌエルの予言(橋本)に見出せるが、研究についてもそういえるだろう。
「難問に答えが出せないのは「自分がそれほど賢くないからだ」と認めて、その上で、自分がその答えが出せるくらいに賢くなるまで待つ。」